千川上水

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    玉川上水(境橋・千川上水分水)千川上水 清流の復活案内板千川上水遊歩道石橋供養塔関村分水跡更新橋の庚申塔施餓鬼亡霊供養塔井口家の屋敷林千川上水跡(田中橋・久山橋・竹下橋)伊勢橋・旧六ケ村分水口千川上水緑道立野橋、上石神井立野の庚申塔上石神井築樋千川上水橋梁「右長命寺道」道標中村橋跡中村分水(新堀)跡中新井村分水(上新街分)跡石神井川揚水路中新井村分水(下新街分)跡下練馬村分水(羽沢分水)跡中新井村分水(北新井分)跡落合分水(水番所跡)千早築樋千早4丁目庚申塔千川親水公園長崎分水跡千川上水(板橋区ルート)千川上水分配堰の碑千川上水公園
    圧磨機圧輪記念碑滝野川反射炉(醸造試験所・鹿島紡績所)跡地

    東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「北豊島郡練馬町」(地図下方向・横断して千川上水が表示されています。)、「豊多摩郡落合町・北豊島郡長崎村」(地図左上方向・東長崎駅左上に千川上水が描かれています。)、「北豊島郡板橋町全図」(地図中央を千川上水が横断しています。)

    千川上水現況調査報告(平成16年3月発行)(PDF:7820KB) – 練馬区

    公益財団法人とうきゅう環境財団 – Ⅰ.千川用水を使用した製造所(P9~P72 )

    [千川上水(せんかわじょうすい)は、玉川上水を水源とし、境橋(現在の東京都西東京市新町と武蔵野市桜堤との境界付近)から江戸城の城北地域へ流れた総延長約22kmの用水路(上水)であり、江戸の六上水のひとつであった。
    1696年(元禄9年)に江戸幕府将軍徳川綱吉により上水開削が命じられる。公の目的は、小石川御殿(綱吉の別荘)、湯島聖堂(幕府学問所)上野寛永寺(徳川家菩提寺)、浅草浅草寺(幕府祈願所)等への給水だが、六義園(綱吉の寵臣・柳沢吉保の下屋敷)内の池へも大量に引水された。
    分水口のある境橋が仙川村(現在の東京都調布市東端から三鷹市南部にかけての一帯)のすぐ近くで、この仙川村を通した上水だったことにその名は由来している。上水路の設計は海運の発展に多大な寄与があった豪商の河村瑞賢がこれを行い、多摩郡仙川村の太兵衛・徳兵衛が開削にあたった。『御府内上水在絶略記』には、太兵衛・徳兵衛の開削の功により、仙の字を吉字に改めて千川とし、両人にこれを名字として賜った旨の記述がある。
    巣鴨に達した上水の水は、地中に埋められた木樋により、前述の5か所をはじめ、江戸本郷湯島外神田下谷浅草などに飲料水として供給された。寛永寺への給水は、途中で谷田川の流れる谷を越える必要があり、密閉された樋による「サイフォンの原理」の応用で一度水を谷底まで落とし、掛樋で谷田川を渡し、寛永寺のある対岸の台地上へポンプなしで上げることができたといわれる。
    1707年(宝永4年)になると、流域農民からの嘆願により、農業用水としての利用が許されることになる。一方、江戸の飲料水としての利用は、「江戸に火事が多いのは上水が普及し地脈が乱れたから」との噂が流れたこと等から、1722年(享保7年)に市内への給水が止められた。その後、村々の農業用水のみに使用されていたが、下町の町人がこの上水の復活をたびたび請願したために、1781年(天明元年)に再開された。しかし、水量不足等で1786年(天明6年)に廃止となった。
    明治以降は、水車による精米、精麦、製粉が行われるようになったほか、工業用水としても利用されるようになった。
    現在は使用されておらず、大部分が暗渠化されているが、東京都の清流復活事業により一部区間には高度処理下水を流し、水辺が復活している。
    玉川上水の流路上、東京都西東京市新町と武蔵野市桜堤との境界付近にある境橋(旧武蔵国多摩郡上保谷村地先)に分水口があり、ここから豊島区西巣鴨まで、武蔵野台地上をほぼ東西に流れる。分水口付近の海抜は約64m、巣鴨付近は約23mであるから、落差は約41mとなる。なお、流路は台地上で、神田川(支流の善福寺川妙正寺川等を含む)と石神井川との分水界をほぼ成している。
    現在、練馬区武蔵野市への移管分2.1kmを除いた部分(13.8km)を、東京都第四建設事務所が管理している。
    分水口からまず武蔵野市と西東京市、武蔵野市と練馬区のそれぞれ境界に沿って流れる。やがて練馬区内に入って青梅街道を越えた時点で暗渠となり、「千川通り」(東京都道439号椎名町上石神井線)と沿って流れている。
    西武新宿線上石神井駅上井草駅間の鉄橋前後で開渠となる。この開渠部分を最後に暗渠となり、水路が地上に出ることは無くなる。その後、ほぼ千川通り沿いに練馬区と杉並区との境界を経て、西武池袋線に沿って富士見台駅から江古田駅付近を流れる。この間にある中村橋駅の駅名はこの上水に架かった橋の名に由来する。
    豊島区に入り、南長崎でほぼ直角に曲がって北東に流れを変える。千川駅大山駅板橋区役所前駅付近を経由し、ほぼ中山道沿いに板橋駅を経由して東へとすすみ、かつての旧千川上水浄水場跡である千川上水公園で終点となる。同公園には駒込の六義園への地下貯水槽が現在もあるが、都営三田線巣鴨駅をつくる際に道路の開削に伴い、導水できない状態となっている。なお、現在でも一部途切れている箇所はあるものの、そのまま存置されている。ただし、敷設してから時間が経過しているため管が錆びるなど老朽化しており、現在、使用できる状況にはないとしている。
    開渠部の全区間において、清流復活事業による流水(下水高度処理水。計画水量は10,000m3/日)が見られる。この水は暗渠のはじまる伊勢橋地点にて回収され、善福寺川へと送水されて、同川の渇水対策に役立てられている。その先の暗渠部について、事業開始当初は計画水量の30%が流されていたが、設備破損により板橋区内で全量が漏水していることが報告され、これと前後して流水が止められている。  (wikipedia・千川上水より)]

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