鍛冶橋跡

スポンサーリンク

マーカーは鍛冶橋跡案内板です。

鍛冶橋跡
[この交差点とJR線の間には、かって江戸城の外濠があり、鍛冶橋が架けられていました。鍛冶橋の先には江戸城の外郭門の一つ鍛冶橋御門がありました。門の名前は「江戸紀聞」に「鍛治町へ出る御門なればかくいへり」とあり、交差点の向こう側にあった鍛治町に由来していると考えられます。門には鉄砲10挺、弓5張、長柄10筋、持筒2挺、持弓1組が備えられ、柳之間詰めの一万石余の外様大名が一年ずつ警備を担当しました。門内には南北の町奉行所が移転を繰り返し、一時期は中町奉行所も設けられました。門前には、幕府の御用絵師として有名な狩野探幽が屋敷を拝領し、以来代々住んだため、この家は鍛冶橋狩野家と称されました。明治維新後に門が徹廃された後も、外堀には引き続き鍛冶橋が架けられていましたが、昭和20年代に、外堀が戦災の瓦磯によって埋め立てられたため、鍛冶橋はその役割を終えました。平成15年3月 千代田区教育委員会   (「鍛冶橋、呉服橋、常盤橋門 | 東京ガードレール探索隊」より)]

[鍛冶橋見附門 
鍛冶橋門は寛永6年(1629)に陸奥国または出羽国の大名によって築かれた。外濠の外域が鍛冶屋職人の住む鍛冶町であったことから名付けられた。鍛冶橋交差点より少し内側に入った鍛冶橋通り上に枡形があり、その外側に橋が架かっていた。外濠通りと交差する鍛冶橋通りを左にいくと馬場先門に通じる。  (「大江戸歴史散歩を楽しむ会 – 鍛冶橋御門」より)]

鍛冶橋資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城見附図 2巻. [2]」(コマ番号15-18/68・鍛冶橋御門)

国立国会図書館デジタルライブラリー – 飯田町堀留より数寄屋橋御門外迄御堀浚道造出来形絵図」(コマ番号7/8・図中央右に鍛冶橋が描かれています。)

国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書 – 一」の「1-53」の元禄11年寅年(1698年)以前之形に鍛冶橋御門内に呉服橋に移る前の吉良上野介の屋敷が描かれている。また、「1-45」の元禄11年寅年(1698年)之形に呉服橋御門内、後年の北町奉行所の場所に吉良上野介の屋敷が描かれている。

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸大名小路絵図」(絵図下、中央左に鍛冶橋御門が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 築地八町堀日本橋南絵図」(絵図上、中央左に鍛冶橋御門が描かれています。)

(幕末の鍛冶橋門・ファイル:Kajibashi-Mon.JPG)

鍛治橋跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向・ロード標識右に鍛冶橋跡案内板があります。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.