弁慶橋跡説明板(藍染川)

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マーカーは弁慶橋跡説明板です。

弁慶橋跡説明板(藍染川)
[弁慶橋といえば、赤坂見附の弁慶濠に架かる橋かと想像しますが、これは藍染川に架かっていた弁慶橋です。藍染川は、於玉ヶ池を埋め立てたときに出来た水路で、弁慶橋は変った橋の形が珍しかったので名所だった。藍染川で一番有名な橋は弁慶橋です。「お玉が池旧跡東の方、和泉橋の通、藍染川の下流に架す。其始御大工棟梁弁慶小左衛門といへる人の、工夫によりて懸初しといへり。此地の形に応じ、街を横切て筋替にかくるもっとも奇なり」。(「江戸名所図会」)  (「第232話・落語「猫忠」(ねこただ)」より)]

[ここに藍染川(愛染川)が流れ、それに架かっていた橋で、『江戸砂子』に「逢初川という。神田鍛冶町一丁目より紺屋町に落ちる大溝である。一丁(約109m)ほど上にて南北の水の落合、両の水逢そめこの所へ落つるからといふ。又紺屋町のうら通リなのでその縁によっていふのである。」とあります。又橋について「すじかいにわたってむつかしき橋である。これは大工棟梁弁慶小左衛門の地割の橋であるといふ。」とかかれています。明治18年(1885)川は埋立られ橋も廃せられてしまいましたが、この橋は小左衛門の名作というので明治22年(1889)に廃材を利用し、清水谷から赤坂見附の方へ出るところに、同じ橋の名で架設され、古風な江戸のおもかけを残して明治・大正時代の名所となりました。千代田区教育委員会説明板から  (「第232話・落語「猫忠」(ねこただ)」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 日本橋北神田浜町絵図」[絵図浜町川の上方向に弁慶橋が描かれている。]

俚俗江戸切繪圖-1」[絵図右端上に弁慶橋が描かれている。]、「俚俗江戸切繪圖-2」(上絵図の左下に弁慶橋が描かれていま。また右下絵図に弁慶橋の拡大絵図と説明が記述されています。)

「江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・弁慶橋弁慶橋(説明文-1)弁慶橋(説明文-2)藍染川藍染川(説明文)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「藍染川・解説は右ページ中程」(1-57)、「弁慶橋・解説は左ページ左端より」(1-599、「弁慶橋解説-2・右ページ左から3行目まで」(1-61)

カメラ北方向に弁慶橋跡説明板があります。

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