誓教寺

スポンサーリンク

マーカーは誓教寺です。

誓教寺
[浄土宗の誓教寺は、瑞亀山弘願院と号します。境内には東京都指定旧跡の葛飾北斎の墓があります。誓教寺の起立は不詳ですが、開山した善蓮社貞誉上人浄求閑悦和尚が慶安元年(1648)に亡くなっていることから1640年頃には当地に創建されています。  (「猫のあしあと」より)]

[都旧跡 葛飾北斎墓
所在 台東区元浅草4丁目6番9号 誓教寺内
指定 昭和2年4月
江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖である。本姓は中島、名ははじめ時太郎のち鉄蔵といった。号は春朗、宗理、可候、画狂人、卍翁など三十余ある。宝暦十年(1760)九月江戸本所割下水で生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢といった。十四、五才の時彫刻師に学び、十九の時に浮世絵師勝川春章の門に入ったが、ひそかに狩野派の画法を学び師の知るところとなり破門。以来土佐派琳派洋風画中国画などを学び独自の画境を開いた。肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富岳三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えた。
昭和43年3月1日 建設  東京都教育委員会  (「浅草の風: 北斎忌の4/18、元浅草の墓所誓教寺を訪ねました」より)]

誓教寺資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 下谷絵図」(1849 – 1862)[絵図四つ切右上・阿部川町右上方向に「誓教寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 拾五之二」(絵図四つ切左下・阿部川町左下方向、字横寺町上に「誓教寺」が描かれています。)

カメラ東南東方向が誓教寺参道です。

葛飾北斎
[葛飾 北斎(葛飾 北齋 、かつしか ほくさい。宝暦10年9月23日?〈1760年10月31日?〉 – 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)は、日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。
代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨大な高峰であったが、達者な描写力、速筆は『北斎漫画』の中にも見ることが可能である。さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であった。葛飾派の祖となり、後には、フィンセント・ファン・ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、工芸家や音楽家にも影響を与えている。シーボルト事件では摘発されそうになったが、川原慶賀が身代わりとなり、難を逃れている。ありとあらゆるものを描き尽くそうとした北斎は、晩年、銅版画ガラス絵も研究、試みたようである。また、油絵に対しても関心が強かったが、長いその生涯においても、遂に果たせなかった。1999年には、アメリカ合衆国の雑誌『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一ランクインした。門人の数は極めて多く、孫弟子も含めて200人に近いといわれる。  (wikipedia・葛飾北斎より)]

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.