首尾の松

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マーカーは首尾の松です。

首尾の松(隅田川の渡し)
[この碑から約百メートル川下に当たる、浅草御蔵の四番堀と五番堀のあいだの隅田川岸に、枝が川面にさしかかるように枝垂れていた「首尾の松」があった。その由来については次のような諸説がある。
 一、寛永年間(1624~1643)に隅田川が氾濫したとき三代将軍徳川家光の面前で謹慎中の安倍豊後守忠秋が、列中に伍している中から進み出て、人馬もろとも勇躍して川中に飛び入り見事対岸に渡りつき、家光がこれを賞して勘気を解いたので、かたわらにあった松を「首尾の松」と称したという。
 二、吉原に遊びに行く通人たちは、隅田川をさかのぼり山谷掘りから入り込んだものだが、上り下りの舟が、途中この松陰によって「首尾」を求め語ったところからの説。 
三、首尾は「ひび」の訛りから転じたとする説。江戸時代、このあたりで海苔をとるために「ひび」を水中に立てたが、訛って首尾となり、近くにあった松を「首尾の松」と称したという。
 初代「首尾の松」は、安永年間(1772~1780)風災に倒れ、更に継いだ松も明治の末頃枯れてしまい、その後「河岸の蒼松」に改名したが、これも関東大震災第二次世界大戦の戦災で全焼してしまった。昭和37年12月、これを惜しんだ浅草南部商工観光協会が、地元関係者とともに、この橋際に碑を建設した。現代の松は7代目といわれている。 平成11年3月 台東区教育委員会  (「旧日光街道1回目(江戸・千住宿)」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション- 〔江戸切絵図〕. 浅草御蔵前辺図」(絵図中央下・浅草御蔵の中央下に首尾の松が描かれている。)

(名所江戸百景・ 浅草川首尾の松御厩河岸ファイル:100_views_edo_oumaya.jpg)

カメラ西南西方向に首尾の松の碑が設置されています。

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