百反坂

[一般に「ひゃくたんざか」と呼ばれているが、古い人たちは「ひゃくだんざか」と呼んでいる。昔この坂は階段であったため百段と呼ばれていたものが、のちに路面が平坦になり、名称だけが百反となって残ったものといわれています。坂下付近には、かつてはJR線路を横断する踏切がありました。その後昭和43年頃に現在の百反隧道および百反歩道橋が出来たことにより踏切は閉鎖されました。  (「百反坂|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

[百反坂は線路わきの丁字路から始まる。緩やかにカーブしながら徐々に標高を上げていくが、この道筋は明治以前のままである。坂下と坂上の商店街に品川区の標柱がある。
「この、現在「ひゃくたんざか」と呼ばれている坂は、古くは「ひゃくだんさか」と呼ばれていた。このあたりは、目黒川に向かって傾斜している台地の端にあたり、その傾斜が段々になっていることから名づけられたという。「百」とは、「数が多いこと」を意味することばで、「段々が多いこと」から「百段」になり、のちに「百反」に転化したものと考えられている。」  (「百反坂(大崎): ぼのぼのぶろぐ」より)]

[目黒のお不動様として親しまれている龍泉寺への参詣の道一つで、北馬場(北品川2丁目)からは品川神社の北側を通って、目黒川に架かる居木橋を渡り、居木橋村北部(※百反坂)を通り抜けて、中原街道に出て、安楽寺をへて目黒不動への道筋です。  (「江戸時代の道 第3回|品川区」より)]

簿冊標題:江戸御場絵図(文化2(1805)年)」(絵図は南方向が上になっていますので、反転して北方向を上にすると見やすくなります。反転絵図中央右方向・「居木橋」右方向、目黒川に架かる居木橋までの間に、百反坂があるようです。「居木橋」の左方向、字四谷橋左下に松平山城守(上山藩)屋敷地(品川区戸越一丁目・Google Map)が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [6]拾六下(弘化三(1846)年)」(コマ番号5/5・絵図右に東海寺が描かれています。その上に山嵜橋が描かれていますが、この橋は寄木橋のことだと思います。その左上、寄木橋村、南北品川宿 二日五日市村入会の境界の農道が百反坂のある道になると思います。コマ番号2/5に百反坂のある道上に津軽大隅上中屋敷、松平中務少輔等の武家屋敷地が描かれています。)

マーカーは百反坂の坂上です。

百反坂上・カメラ東方向が百反坂です。

百反坂下・カメラ西南西方向が百反坂で、カメラ北北西方向に標識があります。

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