笄坂

[笄坂は笄町にある坂道で、現在の住所では港区西麻布二丁目と四丁目の境界に位置し、六本木通り西麻布交差点(霞町交差点)から高樹町交差点(南青山七丁目交差点)まで上がる上り坂である。もとは都電の通った坂道であったが、現在では六本木通り上に架かる首都高速3号渋谷線の高架と西麻布交差点の外苑西通りオーバーパスする高架という、二階建ての高架道路に覆われた側道になってしまっている。笄坂は同じ台地に上る牛坂と平行しており、谷底である西麻布交差点(外苑西通り)を境に霞坂と対面している。1941年(昭和16年)に編まれた『麻布区史』の「麻布笄町」の項には、「笄坂 - 青山六丁目に至る笄町電車通り」との説明が見られる。旧笄町の町域においては、港区元麻布三丁目の専称寺前から西麻布三丁目三番辺りを西に下る「富士見坂(大横丁坂)」も、「笄坂」と呼ばれることがある。こちらの笄坂(富士見坂)の坂下はかつて笄橋があったところで、牛坂へと上る道筋である。  (wikipedia・笄町より)] 

[西麻布2丁目、4丁目の間
坂下を流れていた笄川の名からついた付近の地名によって、こう呼ばれるようになった。  (「港区公式ホームページ/笄坂 」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図」(絵図下中央に長谷寺が描かれ、その右下に描かれる流れが笄川で、長谷寺左の道の下、笄川交点付近を目指して阿部播磨守(白河藩)下屋敷中央を縦断して、明治に入って笄町電車通りが造られています、その道の笄川左側に笄坂があることになります。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 麻布絵図」(絵図四つ切左下に長谷寺が描かれています。長谷寺の右道が松平播磨守下屋敷を縦断して芋洗坂上の道と接続されます。また、その道の右道は牛坂で坂下に笄橋、その先が大横丁坂になります。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [12]拾七下」[コマ番号3/7・地図下に長谷寺が描かれています。6/7・地図上中央に長谷寺が描かれ、長谷寺右方向の道の右側に、阿部誠一郎屋敷地中央を横断して明治に入って道が造られ、そこが南青山六-七丁目に至る笄町電車通りとなります。]

簿冊標題:江戸御場絵図(文化2(1805)年)」(絵図は南方向が上になっていますので、反転して北方向を上にすると見やすくなります。反転絵図四つ切右上・「櫻田町」左方向に長谷寺が描かれています。長谷寺下の道・笄坂が、阿部播磨守屋敷地中央右の道に向け明治に入って道が造られ、そこが南青山六-七丁目に至る笄町電車通りとなります。)

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麻布区桜田町広尾町及南豊嶋郡下渋谷村近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図中央上・麻布区の左上、谷に下る道が現在の笄坂になります。またその下、笄橋右方向の道に笄坂と記述されていますが、この坂は富士見坂とも言われ、現在の大横丁坂になります。)

東京都立図書館アーカイブ – 東京市麻布区」(出版年-1911.8)[地図中央左上方向、霞町のエリアが阿部播磨守屋敷地になります。)

マーカーは笄坂の坂上です。

笄坂(こうがいざか) – Google Map 画像リンク

笄坂上・カメラ東方向が笄坂です。

笄坂下・笄坂標柱(Google Map)、カメラ西南西方向が笄坂です。

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