2.コットンの種類

コットンの種類

コットンの栽培種には4大種と呼ばれる相互に異なる野生種に由来する栽培種の系統があります。

●陸地綿(アップランド綿)=ゴシピウム属 ヒルスツム(G. hirsutum) – 4倍体種n = 26 中央アメリカ、メキシコ、カリブ海地域、南部フロリダに自生 (世界生産の90%)
●海島綿(カイトウメン)=ゴシピウム属 バルバデンセ(G. barbadense) – 4倍体種n = 26 熱帯南アメリカ原産(8%)
●アジア綿(デシ綿)=ゴシピウム属 アルボレウム(G. arboreum) – 2倍体種n = 13 インドとパキスタンに自生(2%未満)
●アジア綿(レバント綿)=ゴシピウム属 ヘルバケウム綿(G. herbaceum) – 2倍体種n = 13 南部アフリカ、アラビア半島に自生(2%未満)
  (wikipedia・Cottonより)

ワタ属の野生種は熱帯及び亜熱帯の乾燥地帯に分布しており、ポール・フリクセル(Paul_Fryxell)は野生の 2 倍体種はその地理的分布から、オーストラリア群(11 種)、アフリカ・アラビア群(8種)及びアメリカ群(12種)の 3群に分けています。また、野生 2倍体種に加え、新大陸に自生する野生 4 倍体種には、G. tomentosum(ハワイ位置)、G. mustelinium(ブラジル北西部)、G. darwinii(ガラパゴス位置)、G. lanceolatum(メキシコ)、G.barbadense(アンチル列島、中南米)及びG. hirsutum(中米)があります。G. hirsutumの自生個体が群生していることは稀で、多くの場合海岸沿いないしは小島に分散して生育しています。
ワタ属は 41 種から成りますが、このうち栽培種は、旧大陸の「アジア綿(レバント綿)」と総称される2倍体種(n=13)のG. herbaceumと「アジア綿(デシ綿)」と総称されるG. arboreum及び、新大陸の「陸地綿(アップランド綿)」と呼ばれる4倍体種(n=26)のG. hirsutumと「海島綿(カイトウメン)」と呼ばれるG. barbadenseです。現在、「アジア綿」は、インド、アフリカ及びアジアの限定された地域で栽培されているのみで、世界で生産されるワタの約 98%は 2 つの「陸地綿」で、その 90%はG. hirsutum種となっています。  (「資料5-2 生物多様性影響評価書の概要(PDF:52KB) – 農林水産技術」より)

1.陸地綿(アップランド綿) G. hirsutum
陸地綿(アップランド綿)、高地綿、やメキシコ綿として知られるゴシピウム属 ヒルスツム(Gossypium hirsutum)は、アメリカ合衆国におけるの綿花栽培で最も広く植えられている種で、すべての綿花生産の約95%を占めています。おそらく中央アメリカメキシコが原産です。世界的には、すべての綿の生産量の約90%がこの種に由来する品種です。
メキシコのテワカン渓谷から紀元前3,500年のずっと以前にそれが導入されていると考えられる考古学的な栽培の痕跡が発見されています。これは、これまで見つかったアメリカ州の綿花栽培の最古の痕跡です。
より長い長さの品種は”長繊維陸地綿(long staple upland)”と呼ばれ、短い長さの品種は、”短繊維陸地綿(short staple upland)”と呼ばれ、長繊維陸地綿(long staple upland)は最も広く商業生産で栽培されています。
繊維作物であることに加え、 ヒルスツム(Gossypium hirsutum)とヘルバケウム綿(Gossypium herbaceum)は綿実油を生成するために使用される主要な種です。  (wikipedia・Gossypium hirsutumより)

2.カイトウメン(海島綿) Gossypium barbadense)
カイトウメン(海島綿)、シーアイランドワタ、エジプト綿、ピマ綿とも言われる、ゴシピウム属 バルバデンセ(Gossypium barbadense)の種の栽培化の最初の明確な兆候は、エクアドルグアヤス(Guayas)県の海岸にあるレアル・アルト(Real Alto)の集落遺跡に存在した初期バルディビア文化(紀元前4400年)と紀元前4200年まで遡る綿さやが見つかっている、ペルーの海岸沿いのアンコン(Ancon)に見られます。紀元前1000年には、ペルー綿の丸莢(まるさや)はカイトウメン(海島綿・ Gossypium barbadense)の近代品種と区別できませんでした。
カイトウメン(海島綿・ Gossypium barbadense)の栽培は、南アメリカ全域に広まり、その後クリストファー・コロンブスが綿に遭遇することによって西インド諸島に広がりました。
西印度諸島での綿花栽培は、スペインが無視した小さな島々、つまり小アンチル諸島ヴァージンリーワードウィンドワード各諸島)にイギリス、フランス、オランダ等のヨーロッパ諸国のコロニーが定着しだした16世紀末頃から始まり、イギリスがスペインの無敵艦隊を破りこの地域を領有してから間もない1620年頃、ヨーロッパ市場に対応した綿花栽培が本格化しました。
コットンは1650年代になって、西インド諸島でアフリカ諸地域から強制連行された黒人奴隷(奴隷貿易)の従事によってプランテーション作物となり、バルバドス(Barbados・位置)は、綿を輸出するための最初の英領西インド諸島の植民地になっていました。

シーアイランドコットンの栽培は、1786年、元英国北米植民地の、 サウスカロライナ植民地(サウスカロライナ州)とジョージア植民地(ジョージア州)の沿岸の島々で、綿プランターがバルバドスから持ち込まれ始まりました。しかしアメリカの気候では越冬困難であり、加えて結実期の気温の低下が成熟を阻んだので、アメリカ導入の試みは当初失敗に終わりました。従って良好な収穫を得るためには、まず交配と選別により1年生草木に改質し、次いで開花・結実・成熟の時期を早めるような新品質を生み出すことが必要でした。サウスカロナイナ沿岸の島々の栽培者達は、まさにそのような方法でアメリカンシーアイランドコットン(海島綿)の開発に成功したのです。このようにして成功した米国産シーアイランドコットンは、サウスカロナイナからジョージア、フロリダ半島のセントジョーンズ河口に至る海岸地帯と沖合いの島々(シーアイランド・位置)が形成する細長い帯状の地域に広がりました。しかし、現在はシーアイランドコットンは西インド諸島が世界唯一の産地となっています。日本では1980年には協同組合西印度諸島海島綿協会(WISICA Japan)が設立され普及に努めています。

エジプト綿と呼ばれるものは、通常エジプトで生産される超長綿に適用され、最高級ブランド綿として世界中で使用されています。このエジプト綿の導入は、アメリカ南北戦争(1861年 – 1865年)により、アメリカ合衆国からの供給が途絶えた為、イギリス帝国フランスはエジプトの木綿へと目を向け、プランテーションに多額の投資をし、エジプト政府(ムハンマド・アリー朝)のイスマーイール・パシャもヨーロッパの銀行などから多額の融資を獲得し、カイトウメン(海島綿・ Gossypium barbadense)の導入が始まりました。しかし、1870年代、南北戦争が終結してアメリカ合衆国産の綿花が国際市場に大規模に流入すると国際綿花価格の下落が引き起こされ、エジプト経済は大打撃を受けました。このことがエジプトの植民地化の原因となります。

アメリカン・ピマ綿は、米国の綿花生産の5%未満を占めています。アメリカン・ピマ綿は、アメリカの広い陸地で栽培される、いわゆる米綿の中で圧倒的に多く生産されている陸地綿(アップランド綿)に対して、もともと、山岳などの高地で栽培されていた綿花で生産される綿をピマ綿といいます。20世紀初頭にアリゾナアメリカ・インディアンピマ族によってつくられていたことからの名称です。長くて細い超長綿で、ソフトでしなやかな風合いと、美しい光沢があるのが特徴です。アメリカでは、ピマ綿の栽培業者が、スーピマ協会という団体をつくり、アップランド綿との差別化政策を進めています。この協会のピマ綿をスーピマ綿と商標化しています。ピマコットン、また栽培場所によって、ペルー・ピマ、アメリカ・ピマともいわれます。
    (wikipedia・Gossypium barbadense木綿ムハンマド・アリー朝より、シーアイランドコットン史 – 海島綿協会、ピマ綿とは – きもの用語大全 – Powered by 創美苑より)

3.アジア綿(デシ綿) G. arboreum
ゴシピウム属 アルボレウム(デシ綿・Gossypium arboreum)は一般的に木綿(モクメン)と呼とよばれ、 インドパキスタン旧世界の他の熱帯および亜熱帯地域に自生するネイティブ・コットンの種で、現在、商業生産されているのは、インド北部、パキスタン、バングラデシュミャンマーで、デシ綿とも言われています。
インダス文明の都市遺跡ハラッパー(位置)より以前に綿織物の生産のため、アルボレウム綿(Gossypium arboreum)が栽培された証拠が見つかっています。アルボレウム綿(Gossypium arboreum)は東アフリカに伝播し、ナイル川中流域・ヌビアメロエ文明によって栽培発展しました。その低木について1753年に出版されたカール・フォン・リンネの『植物の種』(Species Plantarum・植物の学名は現在でもこれが出発点とされる。)に記述され、そのホロタイプ(正基準標本)は、現在、スウェーデン自然史博物館でリンネ標本として保存されています。
リンネは1778年に死去し、リンネの仕事は息子のカール・フォン・リンネに引き継がれましたが、カールはリンネの死からわずか5年後に急逝し、リンネの高弟で、長崎出島の三学者の1人に数えられ、日本植物学の基礎をつくった、カール・ツンベルクがその後を引き継いでいます。そのカール・ツンベルクによってリンネ標本が提供されています。  (wikipedia・Gossypium arboreumカール・フォン・リンネカール・ツンベルクより)

4.アジア綿(レバント綿) G. herbaceum
ゴシピウム属 ヘルバケウム(Gossypium herbaceum)[レバント綿(Levant cotton)とも言われる]は、多年生低木の野生種でサハラ砂漠以南のアフリカアラビア半島の半乾燥地域に自生する綿の種で、現在ほとんど商業栽培されていません。
ヘルバケウム綿(Gossypium herbaceum)はエジプトに導入される前に、インドに伝播し、インドからアレクサンドロス3世(在位紀元前336年 – 紀元前323年)の東方遠征のルートに沿って伝播したと言われ、地中海沿岸からアフリカ北部にまで分布しました。
中世北ヨーロッパに広がった”バロメッツ(Vegetable Lamb of Tartary)”(14世紀にジョン・マンデヴィルが描いたワタの想像図)伝説は、紀元前5世紀の古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの本、『歴史』のペルシャ帝国(アケメネス朝)とギリシャの都市国家間の戦争の記述のなかに、『インドには羊毛の実をつける木があり、それは羊を超える美しさと素晴らしさだ。そして原住民はそれから布を作り身にまとっている。』とコットンについて記述していますが、この記述を誤って解釈され伝説の由来の元になったと思われます。  (wikipedia・Gossypium_herbaceum木綿より、綿花の品質(3)-気候風土の違いで品質・品種もバラエティー … – 繊研新聞より)

5.タンギス綿(Tanguis cotton)
砂糖と綿は、19世紀のペルーの二つの最も重要な農産物でした​​。1901年、ペルーで「綿立枯れ病」、より正確には「フザリウム立枯病」(Fusarium vasinfectum) が流行し、綿花生産が打撃をうけました。ペルー中に蔓延したこの病害は、菌が根から入り込み、完全に枯らしてしまうものだったのです。ペルー在住のプエルトリコ出身の農家フェルミン・タンギス(Fermín Tangüis) は、この病害に強いワタ属の種を求めて発芽実験を繰り返しました。10年間の試行錯誤を経た1911年、タンギス はこの病害に強いワタ属の種を開発しました。それまでより40%も長く太い繊維(長繊維綿・29mm~33mm)ができ、水が少なくても育つ優秀な種です。また、菌疫病蔓延前のペルー綿(エジプト綿)は年1回だけの栽培でしたが、この綿は年6回栽培することが出来ました。タンギス綿と呼ばれるこの種は、今ではペルーの綿花生産量の75%を占めています。  (wikipedia・木綿Fermín Tangüisより)

綿は1960年代頃まで、砂糖、コーヒーと並ぶペルーの三大輸出農産物でした。今でも、ペルーは、ピマ綿やタンギス綿など、繊維が長い質の高い綿花を生産し、ペルーの繊維・衣料産業は近年輸出を拡大していて、主に北米向けに一流ブランドの綿製品を製造して輸出しています。しかし、1960年代後半から始まった農地改革(ペルー革命)をきっかけにペルー綿全体の生産が減少をはじめ、現在も停滞したままです。一方、1990年代以降の経済自由化のなかで綿製品の輸入が増加しており、現在ペルーの綿生産は輸入品との厳しい競争にさらされています。ペルーは米国やインドから綿繊維や綿糸を輸入して、これらを原料として用いていますが、国内の繊維・衣料産業の発展を、綿花生産の拡大につなげて、綿のバリューチェーン全体が発展することが期待されています。  (「ペルー情勢レポート ペルーにおける綿花生産の減少(2012年4月 …」より)
ペルーでは、ピマ綿やタンギス綿以外に、産出量が極端に少ないがワイルドコットンである茶綿のアスペロ綿が栽培され、サチャグリーン・プロジェクト(SachaGreen Project)[パートナー企業バーグマン リベラ社(スウエーデン)「Bergman Rivera SAC」]の支援を受けた取組がなされています。  (「2011年のテーマはカラーコットン」より)

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