クライストチャーチ大聖堂

マーカーはクライストチャーチ大聖堂です。

クライストチャーチ大聖の詳細については、「ダブリンの見どころ」が参考になります。

クライストチャーチ大聖堂
[クライストチャーチは1038年にノルウェーバイキングの王(Sitric Silkenbeard)がダブリンの最初の司教であったデュナン司教のために、ノルウェーの教会の建築様式に従って建てたシンプルな木造の教会から始まった。1162年、ローレンス・オトゥール大司教(後にダブリンの守護聖人、聖ローレンスとなる)は、クライストチャーチにアウグスチヌス会を設立し、以降、宗教改革までおよそ400年間この会の規範が守られ続けた。1172年にアングロノルマンアイルランドに進出、ローレンス・オトゥール大司教に変わって初のアングロノルマン人の大司教となったジョン・カミン(John Cumin/Comyn)は1186年からクライストチャーチをロマネスク建築の石の教会へ建て替えを開始した。1204年、ジョン_(イングランド王)によってダブリンに石の壁で囲まれた町が作られた時、クライストチャーチはその中心となり、英国の教会として1172年にヘンリー2世_(イングランド王)、そして1395年にリチャード2世_(イングランド王)がこの教会で宣誓を行い、10才のランバートシムネルがエドワード6世_(イングランド王)として戴冠式を行った。1536年にヘンリー8世_(イングランド王)宗教改革がアイルランドにも及ぶとクライストチャーチもアウグスチヌス会修道院は閉鎖され、イングランド国教会の祈祷所(Book of Common Player)に取って変わり、ラテン語から英語へ、また修道院長(prior)は大主教dean)となった。教会は泥炭地の上に建てられていたため、1562年、屋根の崩壊と同時に南と西の壁も崩れ落ちた。300年以上を経て、ダブリンのウイスキー製造業者ヘンリー・ロウが23万ポンド(今日の3千万ユーロ)を寄付し、建築家ジョージ・エドムンド・ストリートの設計で、およそ7年の歳月をかけて大改修工事が行われ、1878年に現在のゴシック建築の教会が建てられた。今日クライストチャーチはアーマーを総本山とするイングランド国教会の第二の教会。  (「ダブリンの見どころ<南界隈・城壁で囲まれたエリア(2)>」より)]

クライストチャーチ大聖堂 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向がクライストチャーチ大聖堂で、カメラ南西方向がダブリニアです。

クライストチャーチ大聖堂身廊のストリートビューです。

クライストチャーチ大聖堂祭壇前のストリートビューです。

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