聖メアリー修道院

マーカーは聖メアリー修道院です。

聖メアリー修道院(St. Mary’s Abbey, Dublin)
[ケイペル通り(Capel Street)を西へ曲がるメアリーズアビー通り(Mary’s Abbey)にある路地ミーティングハウスレーン(Meetinghouse Lane)に教会会議室(チャプターハウス)の一部だけが残された聖メアリー修道院がある。聖メアリー修道院は1139年にベネディクト派修道士によって建てられ、8年後にシトー会に譲り渡された。ヘンリー8世宗教改革で1539年に没収、解体されたが、それまではダブリンで最も大きく重要な修道院の一つで、広大な土地を所有し、この修道院を中心とした大きな村があった。このチャプターハウスで、1534年にキルデア伯爵がヘンリー8世に処刑されたことを知った息子トマス・フィッツジェラルド(Silken Thomas Fitzgerald)が王に対する忠誠を捨て反乱の計画をたてた。修道院が解体された後、17世紀にはこの場所は石切り場となり、建物の石はエセックス橋(Essex Bridge)(1874年にグラタンブリッジに再建)の建築に使われた。  (「ダブリンの見どころ<北界隈・ダブリン歴史エリア(1)>」より)]

[1539年に修道院が解散した後、その土地はジョントラバーズ(John Travers)に譲渡され、教会は武器庫となり、採石場の一部となりました。修道士が所有していた広々とした土地は、その上に住居や事業所を建てたいと思う人たちに手放されるようになった。
1619年、ドロヘダメリフォント修道院のジェラルドムーア(Gerald Moore)は、イングランド王ジェームズ1世(在位:1567年 – 1625年)から、その献金とその土地を受け取りました。彼は後にメリフォントのドロヘダ伯爵(Henry Moore, 1st Earl of Drogheda)になった。ムーアの家族は、17世紀の終わりまで修道院をダブリンの住居にし、現在のオコネルストリート(O’Connell Street)に邸宅を建て、そしてヘンリー通り(Henry street)、ムーア通り(Moore street)、アール通り(Earl street)を開発しました。
1676年、修道院の石はエセックス橋(現在は国会議事堂に続くグラタン橋)の建設に使用されました。
司教チャールズ・リンゼイ博士(Charles Dalrymple Lindsay)は、1804年から46年までダブリンのクライスト・チャーチ大聖堂、その後キルデア司教(Bishop of Kildare)は、かつて修道院に属していたグラスネビン(Glasnevin)の古い修道院の土地を取得しました。 これらは1832年頃に購入され、現在のグラスネビン墓地(Glasnevin Cemetery)を形成しました。
修道院は、1880年代にアマチュア考古学者によって、地下7フィート(2 m)でベーカリーの下に再発見されました。彼の発見はジョン・トーマス・ギルバート(John Thomas Gilbert)によって発表されました。古い隣接する壁の一部はまだ見ることができます。現在、建物はヘリテージ・アイルランド(Heritage Ireland)の管理下にあります。チャプターハウス(参事会会議場)は通常、石の階段を下りることで訪問者に開放されています。2015年5月現在、このサイトは追って通知があるまで閉鎖されています。
チャプターハウスのインテリア・wikipedia-photo]

カメラ北方向路地・ミーティングハウスレーン(Meetinghouse Lane)突き当り右に聖メアリー修道院があります。

カメラ東方向がセントメアリー修道院展示センターです。

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