(アッシジ)

アッシジは、イタリア中部のスバジオ山(モンテスバジオ、標高約1,300m)の斜面に広がる人口2万人強の小さな町であるが、フランシスコ会の創立者アッシジのフランチェスコが生まれたことで有名で、カトリック教会の巡礼地として人気がある。また、町の建物は、ここで掘り出される薄いピンク色をした石材からつくられ、町を彩っている。
アッシジはローマ帝国時代からあった古い都市であった。台地の上に現在の北東部分から西へと伸びる形で街が建設され、当時は長さ約2300mの城壁で囲まれていた。紀元前89年にローマ帝国の自治都市として指定され、政治や経済的な重要地でもあった。紀元前1世紀ごろに建築された「ミネルバ神殿」などの遺構は現在でも残っている。
ローマ帝国時代から11世紀までの間のアッシジの大きな変化を示す遺構は見つかっていないが、11世紀から12世紀にかけて商人たちが、アッシジの渓谷を開拓し、貴族たちなどの手により教会などの建築を行った。このころの建造物にはウンブリアの様式を取り入れたものがある。また人口の増加にともない城砦は、1260と1316年に拡張がなされた。サン・フランチェスコ聖堂やサンタ・キァーラ修道院もこのころ作られた。
14世紀に入り、城壁が再度拡張整備された。14世紀から15世紀にかけてはペルージャとの戦争などにより、アッシジの治安は不安定であった。しかし15世紀後半には、サン・フランチェスコ聖堂前に公共広場が作られた。17世紀から18世紀もアッシジは発展を続け、多くの貴族たちはバロック様式の宮殿を建てた。
1818年、サン・フランチェスコ大聖堂地下より、納骨堂が発掘される。1954年に、保全計画が策定され、アッシジは保全地域に指定された。
ローマフィレンツェからの鉄道が便利であり、ローマからは2時間程度。また、ローマ、フィレンツェ、ペルージャよりそれぞれ定期バスが走っている。  (wikipedia・アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群より)
今日のアッシジは、この町出身の聖フランシスコの伝説に導かれた多くの巡礼者が訪れる町である。この聖人は、フランシスコ会の創設者として、またシエナの聖カタリナとともにイタリアの守護聖人として崇敬を集めている。また、鳥に対して説教を行った伝説から、多くの人々に(非キリスト者にも)自然を愛した人物として記憶されている。
1997年9月、アッシジはウンブリア州を襲った2度の大地震に見舞われ、多くの史跡も被害を受けた。しかし、復旧・復興はすみやかに行われた。主要な観光地であるサンフランチェスコ教会は、2年足らずのうちに公開を再開した。
ペルージャ市街からバスで訪れることができる。 – ●SS75、●SS147
鉄道 – 1866年に開業したアッシジ駅 (it:Stazione di Assisi) がある。アッシジ駅は、市街から南西へ約5km離れている。  (wikipedia・アッシジより)

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    アッシジの鳥瞰カメラで、初期設定画面左端にサン・フランチェスコ大聖堂が見えます。

    ロッカ マッジョーレサン・フランチェスコ大聖堂サン・ジャコモ門アッシジのサン・フランチェスコ門アッシジバス停留所サン・ピエトロ門アッシジのサン・ピエトロ教会サン・フランチェスコ通りアッシジのコムーネ広場ペルリーチ門アッシジ サン・ルフィーノ大聖堂アッシジのヌオーヴァ教会セメントン門アッシジのサンタ・マリア・マッジョーレ教会モイアーノ門サンタ・キァーラ修道院サン・ジョルジョ門カプチーニ門ヌオーヴァ門アッシジのサン・ダミアーノ修道院アッシジ駅アッシジのポルツィウンコラ大聖堂のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会