(アレッツォ )

アレッツォの歴史は非常に古く、アレッツォの分離集落であるオルモ (Olmo) で発掘されたいわゆる「オルモの頭蓋骨」 (Uomo dell’Olmo) は旧石器時代のものだと推測されている。
古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスは、アレッツォがエトルリアの首都 の一つであると著書に記している。
エトルリア同盟 (Lega dei popoli) の一部であり、ドデカポリス (Dodecapoli etrusca) と呼ばれる12の主要都市の一つに数えられている。エトルリア時代のアレッツォはサン・ピエトロの丘(現在はアレッツォ大聖堂(Cattedrale dei Santi Pietro e Donato)がある)とサン・ドナートの丘(現在のメディチ家の城塞がある)の付近一帯を占めており、周辺地域との交易の中心でもあり、1万から2万の人口を擁したと推測されている。
古代ローマ共和国が勢力を拡大する紀元前4世紀後半には、アレッツォは次第にローマへ併合されていった。ローマ時代にはアレティウム (Arretium) の名で呼ばれた。紀元前283年ころにはガリア人が町を包囲した(アレティウムの戦い)。ポエニ戦争の頃になると、大量の穀物、武具といった軍需物資を供給するなど、ローマでも重要な地位を占めるとともに経済や農業の発達を見ることができる。帝政ローマにおいても、アレッツォはローマの第3の都市として栄えていた。農業活動が充実し、独特の押印模様のあるアレッツォ陶器は100以上の陶器製造工場が存在し、古代世界の至るところに輸出され町の主要な収入源となっていった。
キリスト教のローマへの浸透とローマ皇帝による迫害は、アレッツォも例外なく影響を受けることになる。紀元258年に殉教者した聖ロレンツォの記念碑が建てられ、中世に入ると、現存のサン・ロレンツォ教会(Chiesa di San Lorenzo)が再建立されることになる。また、アレッツォの司教であり今日ではアレッツォの守護聖人となっている聖ドナート (Donato d’Arezzo) は西暦362年8月7日に殉教している(没年には異説がある)。
14世紀頃には、フィレンツェ共和国に併合される。15世紀から16世紀初頭のアレッツォはフィレンツェ支配への反乱とその鎮圧がたびたび発生した。15世紀末には人口も5000人を割り込み、急激な人口減少を招いたが、その一方で建築技術には目覚ましいものがあり、数多くの教会、宮殿、メディチ家城塞などがこの時期に建造されている。
アレッツォの支配はトスカーナ大公国へ移行し、大公レオポルド1世(神聖ローマ帝国皇帝(在位:1790年 – 1792年))による改革が実施されるが、この改革は貴族社会と町の労働者の反対を呼び起こした。1796年2月1日に発生した地震が経済危機と飢饉をもたらし、民衆蜂起ビバ・マリア蜂起(Viva Maria)が1799年5月6日から同年10月19日に引き起こされる。
1801年、リュネヴィルの和約でトスカーナ大公国がフランス第一帝政へ譲渡される。その後、ナポレオン1世の妹、フランス帝国の皇女エリザ・ボナパルトが大公位に就くことでトスカーナ大公国は復活しアレッツォも帰属することになる。その後、トスカーナ大公国のサルデーニャ王国への併合、サルデーニャ王国のイタリア統一によるイタリア王国建国とアレッツォは帰属を換えて行く。  (wikipedia・アレッツォより)

エンジニアのウンベルト・タヴァンティ(Umberto Tavanti)による1928年のアレッツォの地図(commons.wikimedia)

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