ガイ・フォークス・イン

マーカーはガイ・フォークス・インです。

ガイ・フォークス・イン(Guy Fawkes Inn)
[2軒目のパブ「ガイ・フォークス・イン(Guy Fawkes Inn)」へ。古い旅館の一角がパブになっている。オリさんの説明によれば、ガイ・フォークスとは1605年11月5日にイギリスの国会を爆破しようと企てた一味の1人。事前に見つかり、首吊り・火あぶり・八つ裂きの刑に処されたそうだ。そのガイ・フォークスが生まれたのがこの旅館だった。そんな不名誉なことがなんでいまでは名物になっているのかよくわからないが、この旅館の入り口には彼の顔と説明が書いてある。あとで調べたところでは、イギリスでは11月5日はいまでもガイ・フォークス一味の計画が失敗に終わったことを祝う祝日なのだそうだ。またこのテロリズムが計画される背景にはカトリック教徒を弾圧する当時の王の圧政があったそうだ。  (「43 ヨーク散策3 2012年6月7日(木) | お休みどころ 」より)]

カメラ南西方向がガイ・フォークス・イン(Guy Fawkes Inn)です。

ガイ・フォークス
[グイド・フォークス(Guido Fawkes、1570年4月13日(ユリウス暦) – 1606年2月10日)、あるいはガイ・フォークス(Guy Fawkes)は、1605年にイングランドで発覚した火薬陰謀事件の実行責任者として知られる人物である。立派な髭を蓄えた、赤毛の偉丈夫であったと伝えられる。なお、「男、奴」を意味する英語「ガイ(guy)」は、彼の名に由来する。
フォークスは1593年頃、いとこと共にイングランドを離れ、フランドルへ渡った。この地で彼は、オーストリア大公アルベルト(後のネーデルラント長官)指揮下のスペイン軍に加わった。勇猛で博学、かつ高潔であるとして兵士からの信頼を集め、1596年には指揮官としてカレー(Calais)攻略に貢献した。彼の名声は、ウィリアム・スタンリー(William Stanley)、ヒュー・オーウェン(Hugh Owen)らの関心を惹いた。
この頃イングランドでは、国王ジェームズ1世の国教会優遇政策により、カトリック教徒は弾圧を受けていた。これに反発したロバート・ケイツビー(Robert Catesby)は、ジェームズ1世が上院の開院式に出席したところを爆殺する計画を目論み、協力者を探していた。この時、熱心なカトリック教徒であり、かつ従軍経験のあるフォークスが、彼の目に留まった。ガイは1604年5月、ロンドンのストランド地区にある「ダック・アンド・ドレーク(Duck and Drake:「つがいの鴨」の意)」という名の宿でロバート・ケイツビー、ジョン・ライト(John Wright)、及びトマス・ウィンター(Thomas Wintour)に会い、トマス・パーシー(Thomas Percy)と共に陰謀に加わる誓約に合意した。彼はパーシーの使用人ジョン・ジョンソン(John Johnson)なる肩書きのもと、行動を開始した。パーシーが借りた家の管理を任されたガイは、ここからウェストミンスター宮殿内の議場地下に至るトンネルの掘削を行ったが、極度の重労働であったことから放棄され(トンネルの掘削は事実ではなく、ガイらの取調べの際に捏造されたものとされる)、1605年3月頃、彼らは議場地下の石炭貯蔵室を借りることにした。ガイはパーシーと共に、この地下室を火薬の樽で満たすのを手伝った。その後、スタンリー及びオーウェンに陰謀の詳細を伝えるためにフランドルへ急派された。余談だが、8月末にロンドンに戻ったガイは、聖クレメント教会の裏手に住む未亡人・ハーバート夫人の家に住んだ。しかし、程なくして彼女が彼とカトリックとの関係を疑い始めたため、彼はこの家を去ることを余儀なくされた。この一件は、カトリック信者であるということが如何に危険であったかを示している。
10月26日(グレゴリオ暦11月5日)、「議会の開院式への出席は危険である」と警告する匿名の書簡が、第4代モンティーグル男爵ウィリアム・パーカー(w:William Parker, 4th Baron Monteagle)の元に届けられた。これを知った陰謀者の間で懸念が噴出したが、書簡の記述が抽象的であったこと、また火薬に荒らされた形跡がなかったことから、ケイツビーは計画の続行を決意した。ガイは、火薬の見張りと点火の任を帯びて、宮殿地下に籠った。しかし11月5日(11月15日)未明、治安判事トマス・ナイヴェットらの捜索により、フォークスは逮捕された。逮捕されるフォークス・wikipedia-photo
11月5日(11月15日)早朝、ガイは国王の寝室に連行され、尋問を受けた。彼は、「トマス・パーシーの使用人ジョンソン」という嘘の肩書きを語ったほかは、いかなる情報の提供も拒否した。しかし拷問の結果、自らの本名と、陰謀に関わった者の名を自白した。国王に対する大逆罪を犯した、貴族でない男性にのみ執行される極刑に処せられた。ガイは、それまでに受けた苛烈を極める拷問と病で衰弱し、死刑執行人の手を借りねば絞首台にも登れない程であったという。また、首を吊られた時点で衰弱の為に絶命してしまったらしいことが、記録として残っている。「フォークスの署名(拷問後に自署。上は『Guido』、下は『Guido Fawkes』)・wikipedia-photo

ガイ・フォークス・ナイト
火薬陰謀事件に因み、イギリスでは毎年11月5日に「ガイ・フォークス・ナイト」、別名「ガイ・フォークスの日」、「ボンファイアー・ナイト」、「プロット・ナイト(Plot Night)」と呼ばれる行事が北アイルランドを除く各地で開催される。「ガイ(Guy)」と呼ばれる、ガイ・フォークスを表す人形を児童らが曳き回し、最後には篝火に投げ入れられて燃やされる。ヨークシャーでは、パーキンというケーキを、ガイ・フォークス・ナイトに食べる習慣がある。
伝統的に、11月5日が近付くと児童らが自作のガイ人形を持って近所を回り、「A penny for the Guy!(ガイ人形の為に1ペニー頂戴!)」と言って祭りに備える為のお金を募ったが、現在ではその風習は廃れ、今日では僅かに一部の地域でのみ見られるに到った。現在では、主に篝火と打ち上げ花火を楽しむ行事となっている。「曳き回されるガイの人形。イースト・サセックスの州都ルイスにて」・wikipedia-photo

文化的位置と他メディアへの影響
ガイは、ウェールズ方面では国王暗殺を試みた罪人として扱われているが、スコットランド方面では自由を求めて戦ったとして英雄視されている。
ガイの犯行についてはイギリスの伝統的な子守歌である『マザー・グース』にも見られる。
イギリスのコミックを原作とし、2006年に公開された映画作品『Vフォー・ヴェンデッタ』の主人公「V」は、ガイ・フォークスの仮面を被っている。彼は独裁体制の破壊をもくろむアナーキストであり、原作コミックでは初登場の時点で反逆者の代表としてガイに言及していた。

ガイ・フォークスの仮面
ガイ・フォークスの仮面はアノニマスウィキリークスジュリアン・アサンジ、世界各国のウォール街を占拠せよに使われて、「抵抗と匿名の国際的シンボル」と主張される。「ガイ・フォークスの仮面を被ったアノニマス」・wikipedia-photo  (wikipedia・ガイ・フォークスより)]

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