城壁-15(ミックルゲート・バー)

マーカーはミックルゲート・バー博物館です。

ミックルゲート・バー(ミックルゲート・バー博物館・Micklegate Bar)
[この4階建てのゲートハウスの名前は、オールドノースの「micklegate」または「great street」に由来し、Micklegateに通じています(「gate」は、ヨークバイキングの影響で残っている「street」のノルウェー語です)。これは、1389年にイングランド王リチャード2世(在位:1377年 – 1399年)にさかのぼる伝統で、門に入るときに国の剣に触れる、君主が市に入るための伝統的な儀式の門でした。下部は12世紀に建てられ、上部は14世紀に建てられました。 元の砲塔は1826年に削除されました。少なくとも6人の君主がこの門を通過しました。その象徴的な価値は、反逆者の切断された頭が見せしめのために晒されたことにつながった。腐敗するためにそこに残ったのは、ヘンリー・ホットスパー・パーシー(1403年)、ヘンリー・スクロープ、第3代男爵男爵のマシャム(Henry Scrope, 3rd Baron Scrope of Masham・1415年)、リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)(1461年)、トマス・パーシー (第7代ノーサンバランド伯)(1572年)です。バーは20世紀まで居住されていました。上の2階には居住区があり、現在はミックルゲート・バーでのヘンリー7世体験(Henry VII Experience at Micklegate Bar)として知られる博物館です。バーの修復は2017年後半に完了しました。
「復元後のミックルゲート・バー。壁が低く、砲塔が取り外されています。」・wikipedia-photo]

[ヨークの市壁の上を歩いていくと、途中にある門の一つ。南西のここが正門格で、王を迎え入れる門とされている。内部は監獄ともなり、反逆者などの首もさらされた、その囚人や「首」の復原人形などが展示されている、何とも薄気味悪い雰囲気。一つの階は、なぜか19世紀にここに住んでいた警官の家族?についての展示で、人形の少女が洗濯をしている。受付の裏は、なんと市門がらみの伝説の幽霊(女性)の「復原」。 こんな博物館だが、学校の団体は来るらしく、表のポスターには、「スクール・パック」も用意されている、と書いてあった。  (「博物館訪問日誌 <2> イングランド編(ロンドン、チェスターを除く)」より]

[ウーズ川のほとりから城壁に上がり、ミクルゲート・バーまで歩いた。地上には降りず、そのままミクルゲート・バー内部の博物館に入る。入場券はなんと12ヶ月有効だそう。展示はおもに薔薇戦争に関するもの。戦場跡から出土した古いバックルやらバッジやらが飾られている。出発前に先達のブログを読んだ時に見た写真では、ヨーク公リチャードのさらし首の模型がババーンと飾られたおどろおどろしくもB級感あふれる展示だったのが、その後内部を改装したと見えて、だいぶすっきりしている。もっともヨーク公の首は展示場所こそ隅っこに変わったものの今も健在であった。この首の展示は単なる悪趣味ではなく、ウェイクフィールドの戦いで王妃マーガレット・オブ・アンジュー率いるランカスター派に敗れたヨーク公の首が、実際にこのミクルゲート・バーの上に晒されたという史実から来ている。紙の王冠をかぶらされたヨーク公の首は、次男ラットランド伯エドムンドリチャード・ネヴィル_(第5代ソールズベリー伯)らとともに、ミクルゲート・バーの屋上に、ヨーク市内の方を向けて晒された。この処置は翌年3月、ヨーク公の長男エドワード(後のエドワード4世_(イングランド王))がタウトンの戦いに勝利してヨークに入城するまで続いた。  (「滯英日記-ヨーク(5)」より)]

ヨークの中世の城壁図

Henry VII Experience at Micklegate Bar – Google Map 画像リンク

城壁外のカメラです。

城壁内のカメラです。

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