ジョージ・ハリスンの家

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    ジョージ・ハリスンの家
    [ジョージ・ハリスンは1943年にリヴァプール郊外ウェイヴァートリー区アーノルド・グローブ12番街でハロルド・ハリスンとルイーズ・フレンチ(アイルランド系)との間の三男(4人兄弟の末っ子)として誕生し、時の国王ジョージ6世に因んで「ジョージ」と名づけられた。
    父・ハロルドはウェールズ系で、バス運転手だった。母は敬虔なカトリック教徒だった。
    ジョージが6歳になった時、一家はアプトン・グリーン25番地に引っ越した。ダヴディル・ロード幼児学校、ダヴディル小学校に通い、リヴァプール・インスティテュートに入学した。当時の同級生は彼のことを「独りぼっちで隅に座っているようなヤツ」と評していた。
    ロックンロールに熱中していたジョージが、スキッフルバンドを結成しようと考えて、初めて手にした楽器はギターではなく洗濯板だった。これは、一緒にバンドを組もうとしていた、2番目の兄ピーターがすでにギターを持っていたため。しかし、しばらくするとギターを演奏したい気持ちが強まっていき、とうとう同じ高校の生徒から中古のギターを譲り受ける。
    そして毎日の練習のおかげでギターの腕前が上達したジョージはある日、母・ルイーズにお金を援助してもらい、初めてのエレクトリック・ギターを手にする。エレキギターを手にしたジョージは念願のスキッフル・グループを結成。バンド名を「Rebels」(レベルズ・反逆者たちの意)とした。当時のイギリスには同名のバンドは多数存在していた。「レベルズ」が初めてライヴのステージに立った日、ブッキングされていた他のバンドが不運にもみんなキャンセルしたので、少ないレパートリーの中、一曲を繰り返しの連発で数十分間引きのばしたりして乗り切った、というエピソードもある。
    その後、1950年代の中頃に、ポール・マッカートニーと出会う。ポールの紹介で、ジョン・レノンらのバンド「クオリーメン」(ビートルズの前身)に参加。バンド加入のきっかけとなったのは、空のバス2階を使って行われた即席オーディションにおいて、当時高等テクニックを要したビル・ジャスティスの”Raunchy”」というギターインストゥルメンタルを完璧に弾いたことが、ジョンに認められたからと言われている(彼の家をバンドに貸したからという説もある)。ジョージ自身は、ポールに紹介される以前からジョン・レノンの存在は知っていた。なぜなら、以前ジョージがアルバイトをしていたクウォーク精肉店の得意先の1つがジョンの家だったからである。  (wikipedia・ジョージ・ハリスンより)]

    [6歳の時に越して来て19歳まで過ごした家。ここでジョージはギターをマスターし、ここからインスティテュート校に通いポールと知り合い、クォリーメン、ビートルズとなっていく。ジョンのメンラブ・アベニューの家、またポールのフォースリン・ロードの家がナショナル・トラストの管理下に置かれ、保存されているのと同様にこのジョージの家も保存されるべき建造物だろう。  (「大特集 ビートルズと英国 / リバプールを歩く|WEBマガジン e-days …」より)]

    カメラ南南西方向・12番の家がジョージ・ハリスンの生家です。(12 Arnold Grove, Liverpool L15 8HP イギリス)
    George Harrison’s Birthplace – Google Map 画像リンク

    カメラ北方向、垣根の家がジョージ・ハリスンの家です。(25 Upton Green, Speke, Liverpool L24 2UL イギリス)

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