マーカーはカナリー・ワーフ(DLR) 駅です。
カナリー・ワーフ(DLR) 駅
[ドックランズ・ライト・レイルウェイ (Docklands Light Railway: DLR) は、ロンドン東部ドックランズを走るライトレールシステム。車両は日本のゆりかもめと同様コンピュータ制御されているため、非常時を除き無人運転で運行されている。また、ロンドン地下鉄とは違い、信用乗車方式を採用しているため、改札は無い。駅員も一部地下駅を除き、基本的に配置されていない。また、全駅がバリアフリー化されている。(wikipedia・ドックランズ・ライト・レイルウェイより)
始発駅の一つは、ロンドン都心部のシティ・オブ・ロンドンにあるバンク駅である。]
「Canary Wharf Station – Google Map 画像リンク」
カメラ初期設定方向突き当りの建物の中にカナリー・ワーフ(DLR) 駅があります。
カナリー・ワーフ
[カナリー・ワーフはドッグ島にある旧西インド・ドック跡に建てられた。1802年から1980年までは、西インド会社が経営する世界でも有数の商業埠頭であり、5万人以上が雇用されていることもあった。カナリー・ワーフの名はカナリア諸島との貿易に由来する。第二次世界大戦中にドイツ空軍による重度の空襲を受け、従来の倉庫群は大きく破壊された。1950年代の復興後、港湾産業自体が衰退し始めた。海運業界ではコンテナ輸送が中心となり、ロンドン中心部に近い港湾施設の重要性が下がり、結果として1980年代には閉鎖となった。閉鎖後は数千人が失業し、この地域は廃墟と化した。1981年にこの地域を再活性化する計画が発足し、ロンドン・ドックランズ再開発公社(London Docklands Development Corporation)がマーガレット・サッチャー政権によって設立された。元々は小規模の産業誘致計画で、テレビ番組制作のライムハウス・スタジオがカナリー・ワーフに入居する予定だった。しかしその後、金融街シティ・オブ・ロンドンからのいくつかの多国籍金融企業が大規模オフィスの建設を望んだため、再開発計画を大きく変更し、1987年にはロンドン・ドックランズ再開発公社が大規模オフィス開発企業オリンピア・アンド・ヨーク(Olympia and York)と120万平米の金融ビル建設の合意に至った。
カナリー・ワーフ全景・ファイル:Canary_Wharf_from_Royal_Greenwich_Observatory.jpg (wikipedia・カナリー・ワーフより)]