ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー

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[Google アートプロジェクト] – 「ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー」(ヘッダー画像右下のペグマンをクリックするとストリートビューが表示されます。)

ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー
[ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー(英: Dulwich Picture Gallery)はロンドン南部のダリッジ (Dulwich) にある美術館。日本では「ダリッジ絵画館」、「ダリッジ美術館」、「ダルウィッチ美術館」など様々に呼ばれている。イングランドで最初に一般大衆に開かれた美術館として建築家ジョン・ソーンが設計した建物で、1817年に開館した。ソーンは自然光を取り入れた続き部屋として展示室を配置しており、この設計はその後の美術館建築に大きな影響を与え続けた。ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーはオールド・マスターの作品の所蔵ではイングランド有数の美術館であり、とくにフランスイタリアスペインバロック絵画テューダー朝から19世紀にかけてのイギリスの肖像画のコレクションで知られている。ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーは1995年から非営利慈善機関 (Charitable organization) として登録されている。
ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーのコレクションの基礎となったのは、ロンドンで画商として成功していたスイス系イギリス人画家フランシス・ブルジョワ (en:Francis Bourgeois) と、共同経営者のフランス人ノエル・デザンファンが収集した絵画である。
1811年にブルジョワが死去し美術コレクションが遺贈されたが、ブルジョワが残した遺言には、自身の友人の建築家ジョン・ソーンの設計による、コレクションを収蔵する新しいギャラリーを建設して大衆にコレクションを公開することという条件がついていた。そしてギャラリーの建築費用として2,000ポンドの遺産も残されていた。
当時はダリッジ・カレッジ・ピクチャー・ギャラリー (The Dulwich College Picture Gallery) と呼ばれた美術館は1817年に開館した。
ギャラリー西棟とマウソレウムは第二次世界大戦時の1944年7月12日にドイツ軍のV1飛行爆弾によってひどい損害を受け、その後オースチン・バーノンらの手によって修復され、1953年4月27日に王太后エリザベス来臨のもとで再開館がなされた。
1999年にはアメリカ人建築家リック・マザー (Rick Mather) が担当した、カフェ、教育施設、階段式講堂、新しいエントランス、ガラス張りの通路といった増改築が行われ、礼拝堂とダリッジ・カレッジも所属する慈善団体アレンズ・カレッジ (Alleyn’s College) のオフィスがギャラリーと結ばれた。ソーンが設計したオリジナルの部分にも修復されている箇所があり、増改築が繰り返されている間に変更されてきた。マザーが担当した増改築部分が完成し、公開されたのは2000年5月25日のことだった。
「ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー」・wikipedia-photo、「北から見たダリッジ・ピクチャー・ギャラリー」・wikipedia-photo、西側正面・wikipedia-photo、Walking the Dog sculpture.・wikipedia-photo、マウソレウム内部・wikipedia-photo
「『ヤコブ・デ・ヘイデン三世の肖像』(1632年)レンブラント・ファン・レイン」・wikipedia-photo、「『リンリー家の姉妹』(1772年頃)トマス・ゲインズバラ」・wikipedia-photo、「『サムソンとデリラ』(1620年頃)アンソニー・ヴァン・ダイク」・wikipedia-photo、「『リナルドとアルミーダ』(1629年)ニコラ・プッサン」・wikipedia-photo、「『聖アントニウス』(1503年)ラファエロ・サンティ」・wikipedia-photo  (wikipedia・ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーより)]

ダルウィッチ・ピクチャー・ギャラリー – Google Map 画像リンク

カメラ東方向がダリッジ・ピクチャー・ギャラリーです。

カメラ東方向がダリッジ・ピクチャー・ギャラリー・エントランスです。

ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーのストリートビューです。

カメラ西方向がトマス・ゲインズバラの『リンリー家の姉妹』です。

カメラ東方向中央がレンブラントの『窓辺の少女』、その左真ん中に『ヤコブ・デ・ヘイデン三世の肖像』があります。

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