マーカーはカッレガ・カタルディ宮殿です。
[メリディアーナ広場とフォンターネ・マローゼ広場間の通りは、ストラーダ・ヌオーヴァ(新街路)と呼ばれ,世界遺産に登録されています。(wikipedia・ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度より)]
カッレガ・カタルディ宮殿(Palazzo Carrega-Cataldi)
[宮殿は1558年から1561年の間に、トビア・パッラヴィチーノ(Tobia Pallavicino)のために、バルトロメオ・リッチョ(Bartolomeo Riccio)、ドメニコ・ソラリ(Domenico Solari)、アントニオ・ロデリ(Antonio Roderio)の協力を得て、通称「イル・ベルガマスコ」と知られる、ジョヴァンイ・バッティスタ・カステッロ(Giovanni Battista Castello alias il Bergamasco)によって建てられました。これは、ベルガモ生まれのアーティストがジェノヴァで行った最初の知られた作品であり、彼は数年前にガレアッツォ・アレッシ(Galeazzo Alessi)によって設計された、郊外ペスキエーラのトビア・パッラヴィチーノの別荘(Villa Pallavicino delle Peschiere)の装飾と同時に仕事をしました。
ミョウバンを取り扱う裕福な商人であるトビア・パラヴィチーノは、市内で最も古い貴族の一人の子孫であり、ジェノバ共和国に多数の事務所を所持していました。彼は、数年前にストラーダ・ヌオーヴァに面した家族の建物を建設するために、庭園を備えた大面積を最初に購入した人物の1人でした。
建物の建設では、故郷で既に装飾家やフレスコ画家として活動していた「イル・ベルガマスコ」が、外面と内面の装飾を同時にかつ一貫して進行します。ファサードの明瞭さルネッサンスであり、ガレアッツォ・アレッシ(Galeazzo Alessi)の影響を明確に受けています。1階の端には石の石膏仕上げが施され、1階にはファサードを調和させるイオニア式ピラスター(付柱)があります。
16世紀の建造物は、2層の床と2つの中二階の立方体ブロックで構成されていました。
カッレガ・カタルディ宮ファサード・wikipedia-photo
ファサード正面・wikipedia-photo
パルナッソスホールの天井 – ジョヴァンニ・バッティスタ・カステッロ作『ベルガマスコ』・wikipedia-photo
「ロレンツォ・デ・フェラーリ(Lorenzo De Ferrari)作, 黄金の間(Galleria dorata), 1734-1744」・wikipedia-photo
黄金の間 – 「ロレンツォ・デ・フェラーリ作、『アイネアスの物語』」・wikipedia-photo
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カッレガ・カタルディ宮殿平面図
カッレガ・カタルディ宮殿断面図
「Palazzo Carrega-Cataldi – Google Map 画像リンク」
南南西方向がカッレガ・カタルディ宮です。
黄金の間(Galleria dorata)