マーカーはサン・ジョルジョ宮殿です。
サン・ジョルジョ宮殿(サン・ジョルジョ銀行)
[サン・ジョルジョ銀行(イタリア語:Banco di San Giorgio, 英語:Bank of Saint George)はジェノヴァ共和国にあった金融機関。1407年に設立されており、世界最古でないとしてもヨーロッパ最古の認可された銀行である。本店はジェノヴァ初代ドージェ、シモーネ・ボッカネグラの叔父グリエルモ・ボッカネグラの指示で13世紀に建てられたサン・ジョルジョ宮殿にあった。ジェノヴァの海外領土のほとんどは直接または間接にサン・ジョルジョ銀行によって治められていた。15世紀を通して、共和国はその領土の大部分を段階的に銀行の支配から取り戻したとはいえ、1453年、コルシカ、ガツァリア(クリミアと黒海周辺にあったジェノヴァ植民地)及びいくつかの領地の統治を銀行の幹部たちに委ねた。タマン半島はギソルフィ家の支配下にとどまったが、一方でその君主の一族は銀行の監督下にあった。15世紀から16世紀にわたり、銀行はヨーロッパ中で多くの支配者たちに多額の資金を貸し出し、広範囲に及ぶ影響力を得た。クリストフォロ・コロンボに資金援助したように、フェルナンド2世_(アラゴン王)とイサベル1世_(カスティーリャ女王)のカトリック両王はそこに口座を持った。カルロス1世(カール5世_(神聖ローマ皇帝))は彼の治世の大部分の期間、銀行に多額の借り入れを行った。ニッコロ・マキャヴェッリは、銀行のジェノヴァへの支配権は「ヴェネツィア人よりも記憶に値する共和国」の創造を可能にすると主張した。17世紀には銀行は海洋貿易に深く関わるようになり、オランダ東インド会社やイギリス東インド会社のような企業と競争することとなった。ナポレオン・ボナパルトのイタリア遠征後、彼は独立銀行の抑制を図ったため、1805年に銀行は閉鎖を余儀なくされた。
サン・ジョルジョ宮殿ファサード・wikipedia-photo
サン・ジョルジョ宮殿南側・wikipedia-photo
(wikipedia・サン・ジョルジョ銀行より)]
「サン・ジョルジョ宮 – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向がサン・ジョルジョ宮殿です。