ドリア・トゥルシ宮殿(市庁舎)、トッレッテ宮殿

マーカーはカメラ位置です。

[メリディアーナ広場フォンターネ・マローゼ広場間の通りは、ストラーダ・ヌオーヴァ(新街路)と呼ばれ,世界遺産に登録されています。(wikipedia・ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度より)]

[グーグル・アート・プロジェクトは、グーグル社のストリートビュー技術をそのまま美術館内部にまで持ち込み隅々まで撮影し、web上で公開しています。]

ドリア・トゥルシ宮殿(Palazzo Doria Tursi・市庁舎)
[ニッコロ・グリマルディ(Niccolo Grimaldi)のために、ドメニコ・ポンセッロ(Domenico Ponsello)とジョヴァンニ・ポンセッロ(Giovanni Ponsello)の設計にもとづいて1565年に建てられた。現在市庁舎になっている。ジェノヴァ出身のバイオリニスト、ニコロ・パガニーニ愛用のバイオリンが保管されている。
建物は、隣接するビアンコ宮殿に接続されています。 ストラーダ・ヌオーヴァ博物館のジェノヴァ博物館の一部であり、17世紀から18世紀のジェノヴァ絵画、アントニオ・カノーヴァ作『後悔のマグダラ』、ジェノヴァの市町村の貨幣コレクション、陶磁器のジェノヴァ絵画の博物館ギャラリーの最後の部屋があります。建物の2つの展示室には、ニコロ・バラビノ(Nicolò Barabino)とピエトロ・フェア(Pietro Fea)のフレスコ画があります。
さまざまなコレクションの中でも、興味深いのは、古代ジェノヴァ共和国で使用されている公式の重みと尺度に関連するものです。
ドリア・トゥルシ宮(市庁舎)・wikipedia-photo、玄関ホールから中庭を見る・wikipedia-photo、2階建ての長方形の中庭・wikipedia-photo、中庭・wikipedia-photo、宮殿中庭下からの眺め・wikipedia-photo、ラウンジの天井・wikipedia-photo、アントニオ・カノーヴァ作『後悔のマグダラ』・wikipedia-photo、ニコロ・パガニーニ愛用のバイオリン・wikipedia-photo、公式の重み(1 ポンド)・wikipedia-photo、重量を測定する・wikipedia-photo、液体の測定単位・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、 ドリア・トゥルシ宮(市庁舎)の画像またはその他のファイルが含まれています。]

Palazzo Doria Tursi – Google Map 画像リンク

トッレッテ宮殿(Palazzo delle Torrette)
[ジェノヴァ提督アンドレア・ドーリアの甥にあたるトゥルシ公爵ジョヴァン・アンドレーア・ドリア(Giovan I Andrea Doria)のために、ジャコモ・ヴィアーノ(Giacomo Viano)が設計した。]

カメラ北北東方向がドリア・トゥルシ宮(市庁舎)、南方向がトッレッテ宮です。

ドリア・トゥルシ宮(市庁舎)中庭のカメラです。

ジェノヴァ
[ジェノヴァの古名 Janua または Jenua は ケルト語の入り口の意、他の説によると先住民族の王だったと思われるヤヌス(イタリア語ではGiano)から来たとも。
紀元前6世紀頃から人類が居住していたとされる。ローマ時代には以前より天然の良港という環境を生かし、海運業や軍港として発展した。
1100年頃より自治都市となり、その後はジェノヴァ共和国として発展する。ヴェネツィアピサアマルフィなどの他の海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増した。特に商船、軍艦による通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、黒海貿易を独占するなどした。コルシカ島カッファなどのクリミア半島南岸諸都市、コンスタンティノポリス金角湾北部、イスラーム統治下(ウマイヤ朝・661年 – 750年、後ウマイヤ朝・756年 – 1031年)のイベリア半島諸都市などに植民地あるいは商館を築くなど、地中海の覇権をヴェネツィアやオスマン帝国(1299年 – 1922年)と争った。16世紀には金融業で財を成した貴族が多く現れ、繁栄がピークに達した。アンドレア・ドーリア(1466年 – 1560年)海軍提督の頃はスペイン王[神聖ローマ帝国(スペイン)]に協力し、多くの貴族が金融で富を築く。その頃は la Superba、すなわち「華麗な都市」との異名があった。
1797年、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍に侵攻され、その傀儡国家であるリグリア共和国(1797年 – 1805年)となり、1805年にはフランスに併合、ナポレオン失脚後のウィーン会議(1814年 – 1815年)後も共和国であったため回復させてもらえず、ウィーン議定書によりサルデーニャ王国(1720年 – 1861年、1861年にイタリア王国の建国)へ編入され、ジェノヴァは独立を失った。その後リソルジメント(イタリア統一運動・1815年 – 1871年)でサルデーニャ王国がイタリア半島統一を成し、イタリアの有力な都市の一つとして発展した。
第二次世界大戦後は郊外の新港を中心に発展したが、旧港を中心とした旧市街が未整備のまま一部残され、インナーシティ問題が拡大した。その後1992年に万国博覧会(特別博)「国際船と海の博覧会」を開催。都市内部再開発事業などで、古くからの港湾都市としての歴史を生かした新しい町作りに取り組んでいる。
2001年にはG8の開催地となり、グローバリゼーションへの抗議行動で話題を呼んだ。2006年にはレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリが世界遺産に登録された。  (wikipedia・ジェノヴァより)]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*