パラヴィチーニ・カンビャーゾ宮殿

マーカーはパラヴィチーニ・カンビャーゾ宮殿です。

メリディアーナ広場とフォンターネ・マローゼ広場間の通りは、ストラーダ・ヌオーヴァ(新街路)と呼ばれ,世界遺産に登録されています。(wikipedia・ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度より)

パラヴィチーニ・カンビャーゾ宮殿(イタリア語:Palazzo Pallavicini-Cambiaso)
[伯爵アゴスティーノ・パラヴィチーニ(Agostino Pallavicini)のために、ベルナルディノ・カントーネ(Bernardino Cantone)の設計で、建築家ガレアッツォ・アレッシ(Galeazzo Alessi)によって1558年から建てられ始めた宮殿です。アゴスティーノの息子たちの中で、ジェノヴァに滞在中にルーベンスを招待し、ジェノバ時代の偉大な傑作のいくつかを彼に委ねたニコロ・パラヴィチーニ(Niccolò Pallavicini・1562-1619)が特に重要でした。彼自身の肖像画と彼の妻マリア・セラ・パラヴィチーニ(Maria Serra Pallavicini)の有名な肖像画を含む。1652年出版されたルーベンスの『ジェノヴァの宮殿(I Palazzi di Genova)』に含まれていた宮殿は、18世紀半ば頃にカンビアソ(Cambiaso)家が所有権を引き継ぎました。
現在は銀行が所有しています。
ジェノヴァの画家であるアンドレア・セミノ(Andrea Semino)とオッターヴィオ・セミノ(Ottavio Semino)の作品である『サビーニ人の略奪』(L’enlevement des Sabines)や『エロスプシュケの物語』が所蔵されている。

パラヴィチーニ・カンビャーゾ宮殿ファサード・wikipedia-photo

フォンターネ・マローゼ広場から見た宮殿・wikipedia-photo

エントランスから中庭方向・wikipedia-photo

中庭・wikipedia-photo

ピーター・ポール・ルーベンス作『ニッコロ・パラヴィチーニの肖像』(1604年)・wikipedia-photo

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Cambiaso Palace – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向がパラヴィチーニ・カンビャーゾ宮殿です。