マーカーはアウレリア門(現サン・パンクラツィオ門)です。
アウレリア門(現サン・パンクラツィオ門)
[アウレリア街道はアエミリウス橋という橋でテヴェレ川を渡り、ローマから西に伸びている。アウレリアヌス帝(在位270年 – 275年)がアウレリアヌス城壁を建設してからは(紀元270年から273年ごろ)、アウレリア街道の起点はアウレリア門(現サン・パンクラツィオ門(Porta San Pancrazio))となった。その後道はそのまま25マイル進んでティレニア海に面した古代の町アルシウム(Alsium)(現ラディスポリ)を通り、そこから海岸に沿って北上しVada Volaterrana、コサ(Cosa)を通り、ピサエ(現 ピサ)に至る。本来のアウレリア街道はピサが終点である。ローマとコサとピサを結ぶこの経路は、特に共和政ローマ初期から中期にかけて重要だった。コサはエトルリアにおける重要な植民都市で軍事拠点だったし、ピサはローマのジェノヴァの間にある唯一の港だった。 (wikipedia・アウレリア街道より)]
アウレリアヌス城壁図(拡大図・地図左、テヴェレ川の左に三つの門が描かれています。左端がアウレリア門です。)
「サン・パンクラツィオ門 – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向がアウレリア門(現サン・パンクラツィオ門)です。