ウェスパシアヌスとティトゥス神殿

マーカーはウェスパシアヌスとティトゥス神殿のポルチコ南東角の3本のコリント式円柱です。

ウェスパシアヌスとティトゥス神殿
[ウェスパシアヌスとティトゥス神殿(ラテン語: Templum Vespasiani et Titi[1]、イタリア語: Tempio di Vespasiano e Tito)は、ローマフォロ・ロマーノ西端、サートゥルヌス神殿コンコルディア神殿の間にあった神殿である。ウェスパシアヌス帝(在位:69年 – 79年)と息子のティトゥス帝(在位:79年 – 81年)を神格化して祭っている。ウェスパシアヌスの死後、ティトゥス治世下の紀元79年に着工した。ティトゥスの弟ドミティアヌス帝(在位:81年 – 96年)が紀元87年ごろ完成させ、ティトゥスとウェスパシアヌスを祭る神殿とした。単にウェスパシアヌス神殿と表記されることもある。
この神殿はコリント式オーダーで、前柱式構造(独立した円柱が広く間隔をおいて配置された構造)の6柱式ポルチコを伴っていた。敷地が限られていたため、奥行き33メートル、幅22メートルと比較的狭い。この神殿とコンコルディア神殿の間の狭い空間に、タブラリウムの壁を背にしたレンガとコンクリートでできた2階建てのヴォールト構造の部屋があり、ティトゥスに捧げられたものと見られている。
ティトゥスが建設を開始し、コンクリート製の土台部分と大理石製の祭壇の中核部分を完成させたと見られている。内装を完成させたのはドミティアヌスで、ティトゥスの死後のことだった。内陣の壁はトラバーチン製で、東方から大変な費用をかけて取り寄せた大理石で内張りされていた。内装は非常に豪華で、フリーズに描かれた神聖なオブジェクトはローマ市内の様々なコッレギウムのシンボルやバッジに使われた。紀元200年から205年ごろ、セプティミウス・セウェルス帝(在位:193年 – 211年)とその息子カラカラ(在位:209年 – 217年)がこの神殿を修復させている。
この神殿は中世期に入ると重大な損傷を受け、特に1300年ごろ(ローマ教皇ボニファティウス8世・在位:1294年 – 1303年)とニコラウス5世(在位:1447年 – 1455年)の時代に行われたフォルムの改造の影響を受けた。このとき、フォルムに面した神殿の角が削り取られ、角に尖塔のある要塞として神殿正面を改造している。今日残っているのは、祭壇の中核部分(外装は一部残っている)、内陣のトラバーチン製の壁の一部と神像を設置していた台座の一部、ポルチコ南東角の3本のコリント式円柱だけである。
ウェスパシアヌスとティトゥス神殿・wikipedia-photo、タブラリウムにあるペディメントとフリーズ・wikipedia-photo

フォロ・ロマーノ中心部の平面図

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Via Sacra
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パラティーノ

1:タブラリウム, 2:コンコルディア神殿, 3:ウェスパシアヌスとティトゥス神殿, 4:サートゥルヌス神殿, 5:セプティミウス・セウェルスの凱旋門, 6:ロストラ, 7:帝都ローマ基準点, 8:黄金の里程標, 9:ティベリウスの凱旋門, A:クリア・ユリア, B:コミティウム, C:ラピス・ニゲル, D:フォカスの記念柱, E:フォルム(広場), F:バシリカ・ユリア, G:バシリカ・アエミリア, H:カストルとポルックス神殿, J:カエサル神殿, K:アウグストゥスの凱旋門, L:アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿, M:レギア, N:ウェスタ神殿, P:ウェヌス・クロアキナ祠, Q:ヤヌス神殿

  (wikipedia・ウェスパシアヌスとティトゥス神殿より)]

ウェスパシアヌスとティトゥス神殿 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向がウェスパシアヌスとティトゥス神殿のポルチコ南東角の3本のコリント式円柱です。

カメラ初期設定方向の3本の円柱が、ウェスパシアヌスとティトゥス神殿のポルチコ南東角の3本のコリント式円柱です。

カメラ初期設定方向がウェスパシアヌスとティトゥス神殿のポルチコ南東角の3本のコリント式円柱です。

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