カエリモンターナ門

マーカーはカエリモンターナ門です。

カエリモンターナ門(Porta Caelimontana)
[Porta Caelimontana – 紀元前10年、執政官のDolabellaとSilanusが再建したアーチが現存している。  (wikipedia・セルウィウス城壁より)]

[カエリモンターナ門(Porta Caelimontana or Celimontana)は、チェリオの丘(Caelian Hill)の高台にあるセルウィウス城壁の門でした。チェリオモンタナ通り(Via Caelimontana)はそこから始まります。 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ローマ時代の墓がその南端に沿って発見され、そのうちのいくつかは姿を消しました。
門はアウグストゥスの統治時代(在位:紀元前27年 – 紀元14年)に再建されました。碑文によると、ドラベラのアーチ(Arch of Dolabella)は、ドラベラ(Dolabella)とシラヌス(Silanus)の執政官によって、紀元10年にこの地域に建てられましたが、このアーチがカエリモンターナ門(Porta Caelimontana)の再建であったかどうかについては意見の相違があります。アーチは、ネロ(在位:54年 – 68年)の治世中に建設されたクラウディア水道の分岐水道の支持構造に組み込まれました。64年のローマ大火による、再建と推定されました。
ルネサンスの間、カエリモンターナ門は通行料金徴収所でした。
カエリモンターナ門・wikipedia-photo

(拡大図)
セルウィウス城壁(赤線)とその門を示したローマの地図。黒線は3世紀のアウレリアヌス城壁]

カメラ西方向がカエリモンターナ門とされるドラベラのアーチです。