クイリナーレ広場

マーカーはクイリナーレ広場です。

クイレナレ広場
[クイリナーレ (Quirinale) は、ローマの元となったローマの七丘の一つである。 この名前は、共和国大統領官邸となっている宮殿にも使用されている。
元々は「Collis Latiaris」、「Mucialis」(または Sanqualis)、「Salutaris」という丘の集まりの一部分であった。16世紀に始まった建物の建造によりそれらの区別は失われた。
ローマの伝説に基づくとクイリナーレの丘にはサビニ人の小さな村があり、ティトゥス・タティウス王はローマとサビニとの和平後にそこに住んだとされる。 サビニ人は彼らの神「クゥイリーヌス」に捧げた祭壇をここに立てた(神の名は丘の名前となった)。
紀元前8世紀と7世紀の墓が発見され、サビニ人がこの区域に住んでいた証明ではないかとされる。丘の上にはルキウス・パピリウス・クルソルが第三次サムニウム戦争(紀元前298年 – 紀元前291年)後に勝利を記念した神殿に移したクイリヌスの墓があった。幾人かの著述家は「三主神」(ユーピテルユーノーミネルワ)をカンピドリオより前にここで祭っていた可能性を考えている。 オスク=サビニの神フローラの聖域もここにあった。
紀元前446年、セモ・サンクス神に神殿が捧げられ、それは他の神殿の廃墟の上に建てられた。またアウグストゥス(在位:紀元前27年 – 紀元14年)はマールスに捧げる神殿を立てるように命じた。
コンスタンティヌス1世(在位:306年 – 337年)は街の最後の浴場を建設する命令を出した。この建物は失われてしまったが、いくつかの16世紀の絵画には見ることができる。
中世にはミリツィエの塔とサンティ・ピエトロ・エ・ドメニコ修道院が建設され、コンスタンティヌス浴場の上にはロスピリオージ宮殿が建てられた。この宮殿には現在もクイリナーレ広場にあり二つの有名なディオスクーロイ騎馬像と、ミケランジェロがカンピドリオのセナトーリオ宮殿の階段上に移動させた二つの川の神の像があった。  (wikipedia・クイリナーレより)]

クイリナーレのオベリスク – Google Map 画像リンク

カメラ位置はクイリナーレ広場で、カメラ南南西方向に2組の『馬馴らしの像』と噴水とオベリスクが、カメラ北方向にクイリナーレ宮殿、東南東方向にデツラ・コンスルタ宮があります。また、オベリスクはアウグストゥス廟から移設されたものです。

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