クリア・ユリア

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クリア・ユリア
[クリア・ユリア(ラテン語: Curia Iulia,イタリア語: Curia Iulia)は古代ローマ時代ローマのフォルム・ロマヌムに建てられた元老院議事堂。ガイウス・ユリウス・カエサルが、元老院議員ファウストゥス・コルネリウス・スッラが建てた先代の議事堂クリア・コルネリア(Curia Cornelia)を、紀元前44年に改築したものである。カエサルによる議事堂改築事業は、議事堂と民会(コミティウム(Comitium))の建物配置を再編するものでもあった。この改築事業は、カエサルがポンペイウス劇場で暗殺されたことにより、中断を余儀なくされた。その後、後継者でローマ帝国初代皇帝に就任することになるアウグストゥスが、紀元前29年に事業を完遂した。
クリア・ユリアは現代まで残る古代ローマの建築物であるが、それは7世紀にサン・アドリアノ・アル・フォロ教会に転換され補修が続けられてきたからである。屋根、側壁の上部および、後壁は近年造り替えられたものである。
クリア・ユリアは、クリア(議事堂)として3代目の建物である。その起源はエトルリアサビニ人との紛争の停戦を記念して建てられた神殿だと言われている。この建物が、王政ローマ三代目の王トゥッルス・ホスティリウスによって改築された時、はじめて「クリア」と命名された(クリア・オスティリア)。この建物は数百年間使われた後に火災で消失したため、ルキウス・コルネリウス・スッラによって改築されたが、名称はクリア・オスティリアのままであった。紀元前52年にクロディウスの乱により被害を受けたため、ファウストゥス・コルネリウス・スッラが改築を行いクリア・コルネリア(Curia Cornelia)と命名した。このクリアを紀元前44年に改築したものがクリア・ユリアである。クリア・ユリアは後81年から96年に掛けて第11代皇帝ドミティアヌスにより改築され、283年の火災の後、284年から305年に第51代皇帝ディオクレティアヌスにより改築されている。現在見られるクリアは、このディオクレティアヌスが改築した建物である。
「クリア・ユリア」・wikipedia-photo、想像図・wikipedia-photo、復元された上院ハウス(2006)の内部。」・wikipedia-photo  (wikipedia・クリア・ユリアより)]

クーリア – Google Map 画像リンク

カメラ初期設定方向左がクリア・ユリアで、右がサンティ・ルカ・エ・マルティーナ教会です。

カメラ東方向の建物がクリア・ユリアです。

カメラ初期設定方向の建物がクリア・ユリアです。

カメラ北西方向の建物がクリア・ユリアです。

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