マーカーはコンコルディア神殿です。
コンコルディア神殿(英語:Temple of Concord、イタリア語:Tempio della Concordia (Roma))
[コンコルディア神殿は、ローマ神話の和合の女神コンコルディアを祭った神殿で、フォロ・ロマーノの西端にあった。長い間ローマ市民同士が争う時代の後、紀元前4世紀に平和への誓いをこめて建設された。その後も何度も破壊と再建を繰り返し、最後に再建されたのは紀元7年から紀元10年のローマ皇帝アウグストゥス(在位:紀元前27年 – 紀元14年)の治世下で、ティベリウス(在位:紀元14年 – 37年)が行ったことが大プリニウスの『博物誌』に記されている。1450年ごろ完全に崩壊し、石灰窯として使われ、大理石は建材に流用された。
カンピドリオの丘の麓にあり、タブラリウムに隣接していたため敷地が限られており、建築にもそれが影響している。古代ローマの神殿は方形ならば奥行きの方が幅より大きいのが一般的だが、この神殿は幅が45メートルで奥行きが24メートルであり、ポルチコもそれに合わせて横幅が広く奥行きが狭い。内陣の壁には連続した台座からコリント式円柱が並んで突き出しており、柱と柱の間の凹部が壁龕になっていた。柱の柱頭には渦巻き飾りの代わりに飛び跳ねている雄羊が彫刻されていた。今は基礎部分しか残っておらず、一部はカンピドリオに登って行く道路で覆われている。
コンコルディア神殿跡 – フォロ・ロマーノの西端。サトゥルヌス神殿 (右端、手前)、セウェルスの凱旋門、元老院議事堂 (凱旋門の後ろ)、ウェスパシアヌス神殿 (左、手前)、コンコルディア神殿のわずかな遺跡 (ウェスパシアヌス神殿の後ろ) が特徴。wikipedia-photo
フォロ・ロマーノ中心部の平面図
1:タブラリウム, 2:コンコルディア神殿, 3:ウェスパシアヌスとティトゥス神殿, 4:サートゥルヌス神殿, 5:セプティミウス・セウェルスの凱旋門, 6:ロストラ, 7:帝都ローマ基準点, 8:黄金の里程標, 9:ティベリウスの凱旋門, A:クリア・ユリア, B:コミティウム, C:ラピス・ニゲル, D:フォカスの記念柱, E:フォルム(広場), F:バシリカ・ユリア, G:バシリカ・アエミリア, H:カストルとポルックス神殿, J:カエサル神殿, K:アウグストゥスの凱旋門, L:アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿, M:レギア, N:ウェスタ神殿, P:ウェヌス・クロアキナ祠, Q:ヤヌス神殿
(wikipedia・コンコルディア神殿より)]
「コンコルディア神殿 – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西がコンコルディア神殿跡です。