マーカーはコンスタンティヌスの凱旋門です。
コンスタンティヌスの凱旋門(英語:Arch of Constantine、イタリア語: Arco di Costantino)
[コンスタンティヌスの凱旋門(ラテン語: Arcus Constantini)は、イタリアの首都ローマにある古代ローマ時代の凱旋門で、ローマ建築の代表的なものである。 フラウィウス円形闘技場(コロッセオ)とパラティーノの丘、フォロ・ロマーノの間に位置している。西の副帝であったコンスタンティヌス(在位:306年 – 337年)が、ミルウィウス橋の戦い(312年10月28日)で正帝マクセンティウス(在位:306年から312年)に勝利し、西ローマの唯一の皇帝となった事を記念し建てられた。
フランスのパリに建設されたエトワール凱旋門のモデルにもなっている。
歴史
後にローマ帝国唯一の皇帝となるコンスタンティヌスは、当時西ローマの副帝の地位にあったが、サクサ・ルブラで正帝マクセンティウスの軍団を撃破し、312年10月28日に、ミルウィウス(現ミルヴィオ)においてマクセンティウスを河畔に追いつめ、溺死させることに成功した(ミルウィウス橋の戦い)。コンスタンティヌスはローマに入城すると、フォルム・ロマヌム(現フォロ・ロマーノ)のロストラに立って凱旋演説を行い、フォルム・ユリウム(現フォロ・ジュリアーノ)にて市民に賜金を施した。コンスタンティヌスの凱旋門は、このコンスタンティヌス帝の在位10年目にあたる312年の勝利を記念して造られたものである。奉献式典は315年に行われた。
ただし、この凱旋門には、コンスタンティヌスの時代から遡ること200年前の建築物の装飾が用いられているため、近年、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌスはこれを改変しただけであるとする説も提唱されている。
1960年のローマオリンピックでは、マラソン競技のゴール地点に選ばれた。
コンスタンティヌスの凱旋門・wikipedia-photo
構造
高さ21m、幅25.7m、奥行き約7.4m。3つの門を有し、中央の門が高さ約11m、幅約6.5m、左右の門が高さ約7m、幅3mであり、ローマにある凱旋門では最大である。構成は、フォルム・ロマヌムにあるセプティミウス・セウェルスの凱旋門のものを踏襲している。
基礎と下部構造は石灰華、最上部は煉瓦(外装は大理石)、円柱は黄色大理石、それ以外は白大理石から構成される。装飾は古い建築物からの転用材で、南北面の円形浮き彫りはハドリアヌス帝の時代の建築物から、最上層(アティック)の8枚のパネルは176年に建設されたマルクス・アウレリウス・アントニヌスの凱旋門からはぎ取られたものである。やはり最上層にある8体の彫像と南北面のパネル、中央の門の両側にあるパネルは、トラヤヌス帝が建設したトラヤヌスのフォルムからの転用材である。8本の黄色大理石の円柱も、由来不明だが、どこかの建物からもたらされたものと考えられている。これら以外の彫刻は、コンスタンティヌス1世の時代のものである。
凱旋門の両側の碑文は同一である。
IMP(eratori) CAES(ari) FL(avio) CONSTANTINO MAXIMO / P(io) F(elici) AUGUSTO S(enatus) P(opulus)Q(ue) R(omanus) / QUOD INSTINCTU DIVINITATIS MENTIS / MAGNITUDINE CUM EXERCITU SUO / TAM DE TYRANNO QUAM DE OMNI EIUS / FACTIONE UNO TEMPORE IUSTIS / REM PUBLICAM ULTUS EST ARMIS / ARCUM TRIUMPHIS INSIGNEM DICAVIT[3]
(日本語意訳)インペラトル・カエサル・フラウィウス・コンスタンティヌス(=コンスタンティヌス1世)偉大で / 敬虔、幸運なるアウグストゥスに対し元老院とローマの人民(SPQR)(が奉献する) / 神聖な導きと / 卓越した精神で / 暴君やそれら一味から / 一斉に開放した / 正当な軍事力を用いて(勝利した) / 装飾した凱旋門(を奉献した)
コンスタンチニアのフリーズ
側面のアーチとハドリアヌス皇帝の時代(在位:117年 – 138年)からの8つの円形のレリーフの間には、凱旋門角から接続して記念碑の短辺にも続く連続的なフリーズ(高さ1 m弱)が、コンスタンティヌス帝の時代に、構成するブロックに直接彫刻され、そこの石積がわずかに突出しています。
マクセンティウスとの戦争のエピソードとローマでのコンスタンティヌスの勝利のお祝いに関する物語は、短い西側から始まり、反時計回りにアーチを回って北西の角で終わります。
「プロフェクティオ」- ミラノからの出発、西側、コンスタンティヌスは天蓋のある戦車に座っており、その前に徒歩と馬に乗った軍隊がいます
「オブシディオ」- 南側のヴェローナ包囲戦(Battaglia di Verona (312))、コンスタンティヌスは、2つの神聖な保護者の間の左側に見られ、空飛ぶ勝利が彼を戴冠させます。
「プロエリウム」 – 南側のミルヴィオ橋の戦い、左端には、コンスタンティヌスの兵士がヴィルトゥスとヴィットーリアの間を通過するときに見下ろすテヴェレ川の擬人化が施されたミルヴィオ橋が見えます。続いて、コンスタンティヌス朝の騎兵隊によるマクセンティウスのプレトリアンの虐殺と溺死。右端では、勝利した軍隊のトランペット奏者が軍隊を呼びます。
「イングレス」- 東側のローマへの到着、アーチの反対側「プロフェクティオ」の出発と一致するシーンは、皇帝の都市への入場を示しています(312年10月29日に行われました)。戦車の皇帝は左側にあり、城門に向かって進みます。
「オラティオ」- 北側のフォロ・ロマーノ、「ロストラ」からのスピーチ。
「リベラリタス」 – 人々にお金の配分
(wikipedia・コンスタンティヌスの凱旋門より)]
「コンスタンティヌスの凱旋門 – Google Map 画像リンク」
カメラ北北東方向がコンスタンティヌスの凱旋門です。
カメラ南南東方向がコンスタンティヌスの凱旋門です。また、カメラ東方向がコロッセウム、カメラ西北西方向がティトゥスの凱旋門になります。
カメラ南南西方向がコンスタンティヌスの凱旋門です。