サンタンジェロ城(ハドリアヌス廟)

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サンタンジェロ城(ハドリアヌス廟)
[サンタンジェロ城(伊: Castel Sant’Angelo)は、ローマテヴェレ川右岸にある城塞である。日本語訳によっては、聖天使城、カステル・サンタンジェロとも呼ばれる。 正面にはサンタンジェロ橋(ponte Sant’Angelo)があり、わずかに離れた場所にあるサン・ピエトロ大聖堂とは秘密の通路で繋がっているといわれている。かつてはハドリアヌス廟(ラテン語: Mausoleum Hadriani)と呼ばれていた。
135年、ローマ帝国の皇帝でいわゆる「五賢帝」のひとりハドリアヌス(在位:117年 – 138年)が自らの霊廟として建設を開始し、アントニヌス・ピウス(在位:138年 – 161年)治世の139年に完成した。霊廟はきれいな円形平面をなし、太陽を象徴したハドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置された。しばらくすると軍事施設として使用されはじめ、403年にはアウレリアヌスの城壁の一部に組み入れられた。
14世紀以降は歴代のローマ教皇によって要塞として強化され、また、同時に牢獄や避難所としても使用された。
16世紀前半の教皇クレメンス7世(在位:1523年 – 1534年)は、ローマが神聖ローマ皇帝軍により恐ろしい略奪(ローマ略奪・1527年)を受けている間、皇帝カール5世(在位:1519年 – 1556年)率いるドイツ人傭兵(Lanzichenecchi)の包囲に抵抗するため、この機能を使用した。17世紀前半には教皇ウルバヌス8世(在位:1623年 – 1644年)がサンタンジェロ城の強化に努め、1667年に教皇となったクレメンス9世(在位:1667年 – 1669年)は、バロック芸術の大家で旧友のジャン・ロレンツォ・ベルニーニにサンタンジェロ橋の装飾を依頼しており、橋はベルニーニ自作の2体ふくむ10体の天使像の彫刻で飾られている。
サンタンジェロ城の名称は、590年にローマでペストが大流行した際、時の教皇グレゴリウス1世(在位:590年 – 604年)が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来する。その故事を記念して、16世紀にラファエッロ・ダ・モンテルーポ(Raffaello da Montelupo)による大理石製の天使の像を城の頂上に設置した。1753年からはPierre van Verschaffeltによる青銅製の像が設置してある。
なお、サンタンジェロ城は、1933年以降は博物館として利用されている。
サンタンジェロ城・wikipedia-photowikipedia-photowikipedia-photowikipedia-photo、テヴェレ川対岸から見たサンタンジェロ城とサンタンジェロ橋・wikipedia-photo、サンタンジェロ城とサンタンジェロ橋・wikipedia-photo、サンタンジェロ城側から見たサンタンジェロ橋・wikipedia-photo、Raffaello da Montelupoの天使像・wikipedia-photo、「Pierre van Verschaffelt先端に立つ天使像は、その城の名前の由来となっている。」・wikipedia-photo、「城の頂上から眺めた風景。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂が見える。」・wikipedia-photo  (wikipedia・サンタンジェロ城より)]

サンタンジェロ城 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向がサンタンジェロ城です。

カメラ北方向がサンタンジェロ城です。

サンタンジェロ城東側のカメラです。

サンタンジェロ城内・投石器前のカメラです。

城壁歩廊のカメラです。

サンタンジェロ城展望台のカメラです。