サンタンジェロ橋

マーカーはサンタンジェロ橋です。

サンタンジェロ橋
[サンタンジェロ橋はイタリアローマテヴェレ川に架かる橋で、134年第14代ローマ皇帝ハドリアヌス(在位:117年 – 138年)が自らの霊廟として建設を開始したサンタンジェロ城(建設:135年 – 139 年)に先立ち建設され、ハドリアヌスの橋を意味する、アエリウス橋(Aelian Bridge、 Pons Aelius)といわれていました。
サンタンジェロ橋は五つのスパンで構成されるアーチ橋で、表面をトラバーチン大理石で装飾されています。
現在は歩行者専用であり、サンタンジェロ城の撮影ポイントになっています。
サン・ピエトロ大聖堂への巡礼に使用されていたNero橋が、破滅の後の中世初期には、巡礼者は、サン·ピエトロ大聖堂に行くために、アエリウス橋を使用することを余儀なくされ、アエリウス橋は「聖ペテロの橋(サンクティ・ペトリ橋)」の名で通称され、アエリウス橋の名前は忘れて行きました。
サンタンジェロ城と橋の名称は、590年にローマでペストが大流行した際、時の教皇グレゴリウス1世(在位:590 – 604年)が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来します。
1450年聖年の巡礼で、橋の欄干が陥落し多数の巡礼者が川に墜落して溺死しました。それにより、橋詰めやローマ凱旋門周辺では巡礼者のためのルートを広げるために家屋が取り壊されました。
1535年、教皇クレメンス7世(在位:1523年 – 1534年)は、橋に彫像を建立するために橋の通行料収入を割り当て、橋の正面にロレンツェッティ(Lorenzetto)による使徒聖ペテロの像(台座銘Rione XIVで、本を保持)とパオロ・ロマーノ(Paolo Romano)による、使徒聖パウロ(台座銘Borgoで、壊れた剣と本を保持)を建立しました。
1669年に教皇クレメンス9世(在位:1667年 – 1669年)は、老朽化した、パウルス3世(在位:1534年 – 1549年)によって委託されたラファエッロ・ダ・モンテルーポ(Raffaello da Montelupo)による14人の天使像の代替として、キリスト受難の道具を持つ10人の天使像の作成をジャン・ロレンツォ・ベルニーニに依頼しました。10体の内、ベルニーニ作は2体で残り8体は彼の弟子の作品です。ベルニーニが作った「上書き書を持つ天使」と「いばらの冠を持つ天使」は完成した時にそれを見た教皇クレメンス9世が感銘を受け彼自身が保持して、サンタンジェロ橋の上にはその複製が飾られています。オリジナルは現在、サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会(Sant’Andrea delle Fratte)に保存されています。

10天使
Columnを持つ天使(Angel with the Column)・wikipedia-photo、鞭を持つ天使(Angel with the Whips)・wikipedia-photo、いばらの冠を持つ天使(Angel with the Crown of Thorns)・wikipedia-photo、聖顔布を持つ天使(ヴェロニカのベール、(Angel with the Sudarium (Veronica’s Veil))・wikipedia-photo、衣服とさいころを持つ天使(Angel with the Garment and Dice)・wikipedia-photo、釘を持つ天使(Angel with the Nails)・wikipedia-photo、十字架を持つ天使(Angel with the Cross)・wikipedia-photo、上書き書を持つ天使(Angel with the Superscription)・wikipedia-photo、スポンジを持つ天使(Angel with the Sponge)・wikipedia-photo、槍を持つ天使(Angel with the Lance)・wikipedia-photo

サンタンジェロ橋 – Google Map 画像リンク

10体の天使像彫刻で装飾されたサンタンジェロ橋・wikipedia-photo、サンタンジェロ城・wikipedia-photo、テヴェレ川対岸から見たサンタンジェロ城とサンタンジェロ橋・wikipedia-photo]

カメラ位置はサンタンジェロ橋中央で、カメラ初期設定方向がサンタンジェロ城です。

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