サンタ・マリア・イン・モンテサント教会

マーカーはサンタ・マリア・イン・モンテサント教会です。

サンタ・マリア・イン・モンテサント教会(Basilica di Santa Maria in Montesanto)、サンタ・マリア・イン・ミラーコリ教会(Chiesa di Santa Maria dei Miracoli)
[サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・イン・ミラーコリ教会はローマにある二つ隣り合う教会です。教会はポポロ広場に位置し、アウレリアヌス城壁(Aurelian Walls)の北のゲートに直面して、コルソ通り(Via del Corso)の入り口にあります。二つの教会の計画図と外観を詳細に見ると様々な相違があるが、しばしば “双子の教会”と言われている。
2つの教会の起源は17世紀、中世ルネサンス時代のローマ街道の一つであった、フラミニア街道(Via Flaminia)[ローマ市街ではラタ通り(Via Lata)とコルソ通り(Via del Corso)として知られている]の修復にまでさかのぼる。
 アレクサンデル7世_(ローマ教皇)(Alexander VII・1655年 – 1667年)は、建築家カルロ ・ ライ ナルディ(Carlo_Rainaldi・1611- 1691年)にコルソ通りの入り口の記念碑的な設計を依頼した。両方の教会は、枢機卿ジローラモ・ガスタルディ(Girolamo Gastaldi)によって費用が賄われた。2つの教会内に枢機卿の紋章が存在する。]

サンタ・マリア・イン・モンテサント教会
[教会の名前は、シチリア島のモンテサント州のカルメル会修道士が所有していた小さな教会に取って代わったという事実に由来しています。 建設の始まりは、教皇アレクサンデル7世(在位:1655年 – 1667年)の主導による1662年でした。 1667年に教皇が亡くなった後、建設工事は中断され、1673年に再開されました。カーロ・フォンタナ(Carlo Fontana)の指揮とジャン・ロレンツォ・ベルニーニの監督の下、ジローラモ・ガスタルディ(Girolamo Gastaldi)枢機卿が資金を提供し、 1679年に完了しました。Francesco Navoneの鐘楼は1761年に完成しました。
教会の内部は楕円形で、いわゆる「ツイン」のサンタ・マリア・イン・ミラーコリ教会も内部は円形で、 その「ツイン」の4つのチャペルを有するのに対して、6つのサイドチャペルがあります。
主祭壇には『モンテサントの聖母』が際立っており、ルイジ・マーニ監督の妻によって最近修復されたおかげで発見された16世紀のテーブルは、プラウティラ・ブリッチのものでした。- [Madonna di Montesanto: riemerge la firma sulla pala d’altare …]
右側の2番目の礼拝堂には、リッカルド・トンマージ・フェローニ (Riccardo Tommasi Ferroni)が描いたエマオの晩餐(1982)の祭壇画があります。
右側の3番目の礼拝堂(1679)は、Carlo Francesco Bizzaccheriによって建てられ、Niccolò Berrettoniによる祭壇画とフレスコ画、Pietro PaoloNaldiniによる大理石のプットで飾られています。
1825年7月、教会は教皇レオ12世(在位1823年 – 1829年)によりマイナー・バシリカの称号がさずけられました。
「左側がサンタ・マリア・イン・モンテサント教会で、右側は、サンタ・マリア・イン・ミラーコリ教会」・wikipedia-photo、サンタ・マリア・イン・モンテサント教会内部・wikipedia-photo]

双子の教会平面図

(「ポポロ広場の双子教会堂の建設経緯について – 愛知淑徳大学 知 …」より)

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サンタ・マリア・イン・モンテサント教会 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向がサンタ・マリア・イン・モンテサント教会です。

サンタ・マリア・イン・モンテサント教会身廊のカメラです。

サンタ・マリア・イン・モンテサント教会祭壇前のカメラです。

カメラ初期設定方向礼拝堂にリッカルド・トンマージ・フェローニ作『エマオの晩餐』があり、そこの左礼拝堂がCarlo Francesco Bizzaccheriによって建てられた礼拝堂です。

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