サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

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サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
[サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂( Basilica di Santa Maria Maggiore )はイタリアローマにあるカトリック教会聖堂。「聖なるマリアにささげられた聖堂」の意で、ローマの四大バシリカ古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられる。四大バシリカとはこのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)である。さらにサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖ラウレンツィオ大聖堂)を加えて五大バジリカと呼ぶこともある。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれた。数回にわたる改修と 1348 年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物である。
「サンタ・マリア・マッジョーレ」(聖母マリアの聖堂)という名称には二つの意味がある。一つは世界の聖堂の中でも特に重要な教会、まさに母なる教会であるということ。第二にカトリック信仰において古代より尊重されてきた聖母マリアへの崇敬を表す聖堂であるということである。世界中に聖母マリアにささげられた聖堂があるが、その中で最大のものがサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂である。
アヴィニョン捕囚からローマ教皇がローマに戻ったあと、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていたため、一時的にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が教皇宮殿として用いられていた。後にバチカンに教皇宮殿がつくられ、教皇はそこに移って現代に至っている。
1929 年に結ばれたラテラノ条約のとりきめによって、イタリア政府は、バチカン市国外であってもサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂におけるバチカンの特別な権利を認めている。
「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」・wikipedia-photo、内部・wikipedia-photo  (wikipedia・サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂より)]

[1605年6月末にローマ教皇に選出されたパウルス五世(Camillo Borghese 在位1605―21)は、時をおかずしてサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂におけるパオリーナ礼拝堂建立計画に着手した。この大聖堂は、325年ニカイア公会議でイエスの母マリアに対するテオトコス(神の母)の称号が認められたのを記念して、教皇とローマ市によって建立された。右袖廊にはシクストゥス五世(在位1585―90)が建立したシスティーナ礼拝堂があり「聖誕の秣桶」木片の聖遺物が祀られている。当初よりこれと一対をなすよう構想され左袖廊に建てられたパオリーナ礼拝堂は、大聖堂が擁する第2の宝物「聖ルカの聖母マリア」イコンに捧げられた。パウルス五世は、大理石ラピスラズリからなる豪華な祭壇にイコンを安置し、聖母信仰と聖画像崇拝の歴史的正統性を謳い、カトリック教会の歴史的勝利を宣言する装飾を全壁面に施した。システィーナ礼拝堂に倣って、左右壁にはパウルス五世が恩恵を受けた教皇クレメンス八世(Ippolito Aldobrandini 在位1592―1605)と施主自身の墓碑が建てられた。1618年の工事完了時、総工費は見積額の倍の30万スクーディ余に上った。資金は教皇庁会計院より充当され、同院収入役ジャコモ・セッラの指示で報酬が支払われた。  (「17世紀初頭ローマにおける絵画様式の「総合」とその意味―サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂パオリーナ礼拝堂装飾について―新保淳乃」より)]

17世紀初頭ローマにおける 絵画様式の「総合」と … – OPAC

エスクイリーノのオベリスク – 岡本正二のホームページ」、「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂平面図

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カメラ北北西方向がサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂です。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂正面ファサードのカメラで、大聖堂内のストリートビューになっています。

カメラ東南東方向がサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂アプスで、聖堂前にオベリスクがあります。このオベリスクはアウグストゥス廟から移設されたものです。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂拝廊のカメラです。(平面図 5 と 6 の間)

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂身廊のカメラです。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂祭壇前のストリートビューで、カメラ下方向が高祭壇下礼拝堂です。(平面図 15 ・ 17 )

平面図 14 高祭壇下礼拝堂

ローマ教皇ピウス9世(在位1846-1878)像が祈りをささげています。その視線の先にあるのは、「聖誕の秣桶」の木片が納められている聖なる遺物です。
[主祭壇も明かりが届かず殆んど見えないのですが、その手前の半地下スペースは明かりが灯されていて、この教会で最も貴重な聖遺物「キリスト降誕の際のかいば桶(ゆりかご代わり)の5つの木片」が銀製の聖櫃に納められています。この聖櫃は建築家であり金細工職人でもあったジュゼッペ・ヴァラディエール(Giuseppe Valadier・1762-1839)の作品です。そして、この聖遺物に向かって祈りを捧げているローマ教皇ピウス9世(在位1846-1878)の等身大の彫像が置かれていますが、これはイグナチオ・ジャコメッティ(1819-1883)が1880年に制作したものです。(「ローマ1日目 1/8(木) H(ホテル)~①サンタ・マリア …」より)]

平面図 14 ・ 16 内陣のカメラです。

平面図 16 内陣のカメラです。後陣のモザイク、ヤコポ・トリーティ(Jacopo Torriti)作『マリアの戴冠

平面図 10 システィーナ礼拝堂のカメラです。
[この礼拝堂はローマ教皇シクストゥス5世(在位:1585年 – 1590年)が彼自身、彼の家族、そして彼の偉大な保護者である教皇ピウス5世(在位:1566年 – 1572年)のために豪華な埋葬地として大聖堂を選び、1585年に建築家ドメニコ・フォンターナに依頼し建築しました。]

平面図 18 パオリーナ礼拝堂のカメラです。
[祭壇には5世紀のルカ福音書記者作とされる「ローマ人の救済(Salus populi romani)」のイコン(13世紀に上塗り補修)、その上部にはステファノ・マデルノ(Stefano Maderno・1576-1636)が制作したこの大聖堂建立に纏わる伝説の一場面を描いた『雪の奇蹟』のレリーフ、さらにその上のアーチ状の壁にはジュゼッペ・チェーザリ(Giuseppe Cesari 1568-1640)のフレスコ画を見ることができます。  (「ローマ1日目 1/8(木) H(ホテル)~①サンタ・マリア …」より)]

平面図 7 洗礼堂のカメラです。

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