サン・パオロ門

マーカーはサン・パオロ門です。

サン・パオロ門
[サン・パオロ門(イタリア語: Porta San Paolo)は、イタリア ローマ古代ローマ時代の城壁であるアウレリアヌス城壁に設けられた城門であり、古代ローマ時代にはオスティエンセ街道の起点のオスティエンセ門(ラテン語: Porta Ostiensis)と呼ばれていた。ローマ市内から市外にあるサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂に向かう経路にある門であることから、少なくとも6世紀頃にはサン・パオロ門と呼ばれるようになっていたようである。
外側の門の両脇に2本の塔を持ち、中庭を挟んで市内側にも門を持つ二重門の構造で、アウレリアヌス帝(在位:270年 – 275年)が建設した時には市内側・市外側ともに通路のアーチ開口が2箇所ずつある姿だった。何時頃かは定かではないが、市外側の開口部は1つに縮減され、トラバーチンで造られた横幅の広い壁で埋められている形になっている。マクセンティウス帝(在位:306年 – 312年)とホノリウス帝(在位:395年 – 423年)の時代に改修が行われ、ホノリウス帝は塔のかさ上げも行った。
塔内には1954年に開館したオスティア街道博物館(Museo della Via Ostiense)があり、入場料無料で一般公開されている。
なお、アウレリアヌス城壁に関する博物館はこの門内ではなく、サン・セバスティアーノ門内に置かれている。
市外側のファサード・wikipedia-photo、市内側のファサード・wikipedia-photo  (wikipedia・サン・パオロ門より)]

[サン・パウロ門は、3世紀アウレリアヌスの時代に築城された、アウレリアヌス城壁の門の一つです。一時、ケスティウスのピラミッドも城壁の一部として取り込まれた。現在も、これらはピラミッドの真横に現存している(砦はピラミッドより高い)。また、碑文には1663年に、当時のローマ教皇アレクサンデル7世(在位:1655年 – 1667年)により修復工事が行われたことも記されている。
横にある城門(Porta San Paolo)・ファイル:Roma-Porta_San_Paolo.JPG (wikipedia・ガイウス・ケスティウスのピラミッドより)]

アウレリアヌス城壁図(地図中央下の左にオスティエンセ門(ラテン語: Porta Ostiensis)が描かれています。)

Porta San Paolo – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向がサン・パオロ門です。

カメラ西南西方向がサン・パオロ門です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*