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サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会(広場)
[教会はコルソ通りのコンドッティ通りの近くのルチーナ広場にあります。教会の最初の建設は4世紀ですが、現在の建物は1650年に建てられたものです。外観はレンガつくりの簡素な印象です。なかはバジリカ様式の教会となっており、フォンセカのチャペルはベルニーニの設計によるものです。また正面祭壇はレーニのキリストの十字架像が掲げられています。 (「教会内にはベルニーニ設計のチャペルもあり」より)]
サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会(イタリア語:Basilica di San Lorenzo in Lucina)
[サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会は、モンテチトーリオ宮殿(代議院)からそれほど遠くない、リオネコロンナ(Colonna (rione di Roma))にあるローマの教会です。
伝説によれば、サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会は4世紀に建てられました。同名ルチーナの寡婦の家に建てられました。ドムスは、教皇シクストゥス3世(在位:432年 – 440年)によって440年に公式の礼拝所として奉献され、1130年に完成するまで教皇パスカリス2世(在位:1099年 – 1118年)の下で再建されました。
17世紀半ばに、インテリアはコジモ・ファンザゴ(Cosimo Fanzago)によって完全に変換されました。コジモ・ファンザゴは教会を単一の身廊に変え、側面の通路を礼拝堂に変えました。 さらに修復が行われたのは19世紀後半で、教皇ピウス9世(在位:1846年 – 1878年)の命令により、身廊のバロック装飾が取り除かれ、ロベルト・ボンピアーニ(Roberto Bompiani)によるフレスコ画に置き換えられました。 現場に残った説教壇のみが免れた。
1908 年11月、教皇ピウス10世(在位:1903年 – 1914年)はそれを小聖堂の階級に引き上げました。
サイドチャペルの中には、ジュゼッペ・サルディ(Giuseppe Sardi)の18世紀の洗礼堂と、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計したフォンセカチャペルと、ベルニーニ自身による大理石の胸像があります。サンフランチェスコの礼拝堂では、フランスのサイモンヴエ(Simon Vouet)、カラヴァッジョの絵画を鑑賞できます。
ファサード・wikipedia-photo
教会内部・wikipedia-photo
身廊の天井、格天井。wikipedia-photo
グイド・レーニの絵がある高祭壇・wikipedia-photo
教皇ピウス9世の紋章・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、ルシーナのサンロレンツォ聖堂の画像またはその他のファイルが含まれています。]
[まずは中央祭壇。こちらはバロック時代の建築家カルロ・ライナルディ(Carlo Rainaldi)によって手掛けられたもので、その中央にはグイド・レーニの磔刑があります。そして、祭壇右側にはベルニーニの設計によるフォンセカ礼拝堂(平面図 11 )。そしてこちらの礼拝堂にはバロック時代のフランス人画家シモン・ブーエの絵が。彼はパリに生まれ、後にイタリアへと渡りローマには13年滞在しています。あと、ここにはフランス人画家ニコラ・プッサンのお墓(平面図にTomba di Poussinと赤で記されています。)もあるらしいのだけれど、私は気付かずに出てきちゃいました。 (「サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会 ~聖堂内部 … – アメブロ」より。)]
サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会平面図(「Basilica di San Lorenzo in Lucinaサン・ロレンツォ・イン …」より。)
「San Lorenzo in Lucina: curiosità su una delle Basiliche più antiche di Roma」
「サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ – Google Map 画像リンク」
カメラ西方向がサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ広場で、教会は広場の中央付近南側にあります。
カメラ南南東方向がサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会です。
サン・ロレンツォ・イン・ルチーナ教会身廊のカメラです。カメラ東方向柱壁にニコラ・プッサンの墓があります。
カメラ位置はサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ広場西端で、画面左端がバール兼ジェラーテリアの「チャンピーニ (Ciampini)」です。