パラティーノ皇帝宮殿跡(スタディオン・パラティヌス)

マーカーはスタディオン (パラティヌス)です。

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スタディオン (パラティヌス)
[スタディオン(ラテン語: Stadion)は、イタリア ローマパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にある帝政ローマ期の宮殿内の庭園または競技施設跡。ドミティアヌスのヒッポドロームと表記されることもある。
ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌス(在位81年 – 96年)が、東側に隣接するドムス・フラウィアドムス・アウグスターナと同時期に建てた施設である。ネロ帝以降に建てられた建物群を撤去した跡に建てられた。スタディオンは、ドミティアヌス帝就任直後の81年から92年の間に建設された。
スタディオンの建築材であるレンガの大部分にはドミティアヌス帝時代の刻印がされているが、入口部分はハドリアヌス帝時代(在位:117年 – 138年)に、またエクセドラ部分はセプティミウス・セウェルス帝時代(在位:193年 – 211年)に改修されたものである。広場の南半分の地面に楕円形の建物跡が現在でも残っているが、これは東ゴート王国(497年 – 553年)の初代国王テオドリック(在位 : 493年 – 526年)の時代に造られたアンフィテアトルム(円形闘技場)の跡である。
古代ローマの博物学者小プリニウスによれば、スタディオンは競技場ではなく皇帝の私庭(庭園)として使われていたようである。3世紀末の殉教者である聖セバスティアヌスによれば、キリスト教信者の迫害(Acts of the Martyrs)のまさにその場所であると表現している。
パラティーノ皇帝宮殿跡平面図

[1:ドムス・ティベリアナ, 2:ドムス・リウィアエ, 3:ドムス・フラウィア, 4:ドムス・アウグスターナ, 5:スタディオン (パラティヌス), 6:ドムス・セプティミ・セウェリ, 7:アポロン神殿 (パラティヌス), 8:クラウディア水道の水道橋, 9:セウェルス浴場, A:アウグストゥスの家, B:キュベレー神殿, C:ロムルスの家, D:エラガバリウム, E:ホレア・アグリッピアーナ(穀物倉庫)]
再現模型

パラティヌスの中心部付近

[S:スタディオン]
スタディオン・wikipedia-photo  (wikipedia・スタディオン_(パラティヌス)より)]

スタディオン – Google Map 画像リンク

スタディオン北東側のカメラです。

カメラ位置はスタディオン中央で、カメラ東南東方向にエクセドラがあります。

スタディオン内のカメラです。

エクセドラ部分のカメラです。