タブラリウム

マーカーはタブラリウムです。

タブラリウム
[タブラリウム(ラテン語: Tabularium)は、古代ローマフォロ・ロマーノの西端にあった公文書館。法律や公的記録が保管されていた施設である。それらを刻んだ青銅板(タブラエ)が保管されたことからこの名が付いたといわれる。紀元前83年に起こった火災からの復興のため、カピトリーノの丘を大規模再整備する事業の一環で、紀元前78年に執政官であったクインタス・ルタティウス・カトゥルス(Quintus Lutatius Catulus)とマルクス・アエミリウス・レピドゥスにより建設された。
古代ローマ施政下の各都市にも同様の公文書館(タブラリウム)が儲けられており、公文書保管以外にも役所の役目も果たしたといわれる。
この建物は、フォロ・ロマーノからカピトリーノに続く急傾斜地に擁壁を設け嵩上げした上に建てられている。 ファサードはペペリノ(黄灰色の凝灰岩)とトラバーチンのブロックでできており、内部のヴォールトローマン・コンクリート製である。ファサードはコンコルディア神殿の裏に面していて、三層になっていた。1階は高い城壁のような壁で最上部に採光用の四角い窓があり、大きな扉から入るとフォルムと同じ高さの部屋があった。2階にはドーリア式アーケードがあり(一部現存)、3階はコリント式コロネードになっていた(現存せず)。
タブラリウムが建てられる前にこの地に建っていたウェイオウィス神殿(Temple of Veiovis)は、破壊されることなくタブラリウムの建物内に取り込まれ残存している。東側に隣接してウェスパシアヌスとティトゥス神殿コンコルディア神殿、さらにロストラがあり、その先にフォルムが広がっていた。紀元46年にクラウディウス帝(在位:41年 – 54年)の命により修復されている。中世になると、上層階は取り壊され砦として使われた。さらにルネッサンス時代になると、ミケランジェロが既存の建物の上にセナトリオ宮殿(ローマ市庁舎Palazzo Senatorio)を建てた。それ以来、この建物は主に行政庁舎として使われてきたが、16世紀から17世紀には一部の部屋が塩の保管庫に、19世紀には牢獄として転用されていたこともある。
現在はカピトリーノ美術館からのみタブラリウムに入ることができ、2階部分のアーケード窓からフォロ・ロマーノが一望できる。
タブラリウム・wikipedia-photo、現存する2階部分・wikipedia-photo

フォロ・ロマーノ中心部の平面図

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Via Sacra
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パラティーノ

1:タブラリウム, 2:コンコルディア神殿, 3:ウェスパシアヌスとティトゥス神殿, 4:サートゥルヌス神殿, 5:セプティミウス・セウェルスの凱旋門, 6:ロストラ, 7:帝都ローマ基準点, 8:黄金の里程標, 9:ティベリウスの凱旋門, A:クリア・ユリア, B:コミティウム, C:ラピス・ニゲル, D:フォカスの記念柱, E:フォルム(広場), F:バシリカ・ユリア, G:バシリカ・アエミリア, H:カストルとポルックス神殿, J:カエサル神殿, K:アウグストゥスの凱旋門, L:アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿, M:レギア, N:ウェスタ神殿, P:ウェヌス・クロアキナ祠, Q:ヤヌス神殿

  (wikipedia・タブラリウムより)]

Tabularium – Google Map 画像リンク

カメラ初期設定方向ウェスパシアヌスとティトゥス神殿のポルチコ南東角の3本のコリント式円柱の向こうの建物がタブラリウムです。

カメラ北北西方向の建物がタブラリウムです。

カメラ西南西方向の建物がタブラリウムです。

タブラリウム2階からフォロ・ロマーノを望むカメラです。

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