バシリカ・アエミリア

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バシリカ・アエミリア
[バシリカ・アエミリア(ラテン語: Basilica Aemilia,イタリア語: Basilica Emilia)は古代ローマ時代のローマに造られた公会堂(バジリカ)。現在遺跡として見られるものは紀元前34年に建てられたもので、建物の大きさは100m×30mであった。日本語でエミリア会堂、エミリウスのバジリカなどと表記されることもある。
紀元前55年、ルキウス・アエミリウス・レピドゥス・パウルス(Lucius Aemilius Lepidus Paullus)によりバジリカの建て替えが開始され、紀元前34年に後継者の息子により竣工した。この建物は先代のバジリカと同じ位置に建てられ、建物の長さは少し短くされた。建物中央の列柱はアフリカ産大理石を用い、コリント式柱頭を持つ円柱と、共和政ローマの歴を描いたフリーズが取り付けられていた。2列目の列柱はチポリーノ大理石(Cipollino marble)で造られており、また外側の3列目の列柱はイオニア式柱頭を持つ円柱が使われていた。
紀元前14年、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(在位:紀元前27年 – 紀元14年)は火災で損傷したバジリカの修復を行った。同時に、ポルティコに入居していたタベルナエ(商店)の改築も行われると共に、最上階のアティック(屋根裏)が増築された。
バジリカは22年に再度改修され、博物学者大プリニウスは『ローマでもっとも美しい建築物である』と記した。バジリカはポルティコ部分のタベルナエ(Tabernae Novae)が商業取引の場として使われると共に、100m×29.9mの広さがある中央部分のホールは集会などに使われた。
410年の西ゴートアラリック1世によるローマ略奪でバジリカは破壊され炎に包まれた。この時の火災で溶けた硬貨の跡が、現在でも大理石の床に残っているのを見ることができる。その後修復されたが、847年の地震で倒壊した後は再び修復されることはなく、石材などは他の建築物の資材として流用された。
「バシリカ・アエミリア」・wikipedia-photo、アウグストゥスが修復した後の想像図・wikipedia-photo

フォロ・ロマーノ中心部の平面図

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Via Sacra
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パラティーノ

1:タブラリウム, 2:コンコルディア神殿, 3:ウェスパシアヌスとティトゥス神殿, 4:サートゥルヌス神殿, 5:セプティミウス・セウェルスの凱旋門, 6:ロストラ, 7:帝都ローマ基準点, 8:黄金の里程標, 9:ティベリウスの凱旋門, A:クリア・ユリア, B:コミティウム, C:ラピス・ニゲル, D:フォカスの記念柱, E:フォルム(広場), F:バシリカ・ユリア, G:バシリカ・アエミリア, H:カストルとポルックス神殿, J:カエサル神殿, K:アウグストゥスの凱旋門, L:アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿, M:レギア, N:ウェスタ神殿, P:ウェヌス・クロアキナ祠, Q:ヤヌス神殿

  (wikipedia・バシリカ・アエミリアより)]

バシリカ・アエミリア – Google Map 画像リンク

カメラ東方向がバシリカ・アエミリアです。

カメラ西北西方向がバシリカ・アエミリアです。

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