パラティーノ皇帝宮殿跡

マーカーはドムス・アウグスターナ前です。

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パラティーノ皇帝宮殿跡
[フォロ・ロマーノチルコ・マッシモ(大競技場)の間にある。 古代ローマにはローマ建国の英雄ロムルスレムスがかつて住んだとされ、貴族の邸宅が数多くあり、のちに初代皇帝アウグストゥスを筆頭に歴代の皇帝が独占したため、イタリア語や英語で宮殿を意味する語の語源となった。
発掘調査によれば、紀元前1000年頃にはパラティヌスに人が居住した痕跡が見つかっている。古代ローマの歴史家リウィウスによれば、(ローマ建国前のこと)サビニ人アルバ人がローマに移住してきた時に、もともとここに住んでいたローマ人はパラティヌスに移り住むようになったとされる。共和政ローマ期(紀元前6世紀~紀元前1世紀)には、貴族など裕福な人々がパラティヌスに住まいを構えるようになる。帝政ローマ期(紀元前後~)、この地区は皇帝が住む宮殿が建ち並ぶ地区となる。ティベリウス帝(在位 14年-37年)が造営したドムス・ティベリアナ(Domus_Tiberiana)、ドミティアヌス帝(在位81年 – 96年)などフラウィウス朝期(69年-96年)のドムス・フラウィアなどである。ティベリウス帝が建てた宮殿を除くすべての宮殿群のことを、ドムス・アウグスターナ(この場合のアウグスターナは皇帝を意味し、アウグストゥスのみを指す言葉ではない)と呼ぶこともある。アウグストゥス帝(在位 BC27年-14年)は自ら建てたドムス・アウグスティの隣にアポロン神殿 (パラティヌス)(Tempio di Apollo Palatino)も造営している。また、古代ローマ期を通じ、パラティヌスはユノマイアを崇拝するルペルカーリア祭が行われる場所でもあった。
アウグストゥス帝の妃リウィアの宮廷とみられているドムス・リウィアエ(Casa di Livia)が、現在修復作業中である。隣にはキュベレーを祀るキュベレー神殿(Temple of Cybele )は発掘作業中で、一般公開はされていない。ドムス・リウィアエからフォルム・ロマヌムに向かう斜面にはドムス・ティベリアナ(Domus Tiberiana)が建てられている。
現在、パラティヌスの遺跡群は、フォルム・ロマヌムとフラウィウス円形闘技場(コロッセウム)と一体となった広大な屋外博物館として一般公開されており、同一の入場券で見学可能である。
平面図

[1:ドムス・ティベリアナ, 2:ドムス・リウィアエ, 3:ドムス・フラウィア, 4:ドムス・アウグスターナ, 5:スタディオン (パラティヌス), 6:ドムス・セプティミ・セウェリ, 7:アポロン神殿 (パラティヌス), 8:クラウディア水道の水道橋, 9:セウェルス浴場, A:アウグストゥスの家, B:キュベレー神殿, C:ロムルスの家, D:エラガバリウム, E:ホレア・アグリッピアーナ(穀物倉庫)]
「チルコ・マッシモ側のパラティーノの皇帝宮殿跡」・wikipedia-photo  (wikipedia・パラティーノより)]

カメラ南西方向がパラティーノ皇帝宮殿跡で、カメラ方向右のエリアはD:エラガバリウムです。

カメラ位置はドムス・アウグスターナ前で、カメラ南西方向にパラティーノの遺跡群があります。