パラティーノ皇帝宮殿跡(アウグストゥスの家)

マーカーはアウグストゥスの家です。

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アウグストゥスの家
[アウグストゥスの家(ラテン語: Domus Augusti ドムス・アウグスティ)は、イタリア ローマパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にあるローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(紀元前63年9月23日 – 紀元14年8月19日:在位:紀元前27年 – 紀元14年)の邸宅跡。
1世紀末にドミティアヌス帝(在位81年 – 96年)が建てたドムス・アウグスターナ(皇帝の家)とは隣接しているが全く別の施設であり、アウグストゥスの生家(アウグストゥスの家と表記する資料もある)とも別である。
オクタウィアヌス(後のアウグストゥス帝)は、カエサル暗殺に対する復讐がある程度決着がついた紀元前36年にパラティヌスの丘にあった元老院派クィントゥス・ホルテンシウス(Quintus Hortensius)の邸宅跡を買い取り、自身の住居とした。アウグストゥスはこの邸宅で伝統的で華美に走らない生活を送ることで、世間に対し権力者の謙虚な姿勢を示した。この邸宅はロムルスの家(Casa Romuli)などローマ建国伝説の地の遺跡にほぼ隣接して建てられていて、その建物は2階建てで、南西側に柱廊に囲まれ池のある庭ペリスティリウムを擁していた。
『皇帝伝(The Twelve Caesars)(De vita Caesarum)』を著した帝政ローマ期の歴史家スエトニウスによると「アウグストゥスは謙虚に、慎重に振舞った。当初、フォルム・ロマヌムの近くに居を構えていたが、後にパラティヌスの邸宅に移る。その邸宅は適度な大きさと優雅さを備え、近場で採れた石を使った列柱廊に囲まれた小規模なペリスティリウムを擁し、柱廊に面した部屋は控えめで大理石を敷き詰めるなど華美に走っていなかった。彼は40年間この邸宅で起居した。」
邸宅は紀元3年に火災で消失し、その後再建され国家資産とされた。ネロ帝(在位 54年 – 68年)の時代にも火災で被害を受けたとスエトニウスは記している。
地図左下「Maison d’Auguste」がアウグストゥスの家で、その上がリウィアの家、右上がアポロン神殿・パラティヌスです。

Maison d’Auguste・wikipedia-photo  (wikipedia・アウグストゥスの家より)]

[パラティヌスで起こった神話上の出来事は他にもあり、ヘラクレスゲーリュオーンの牛の群を連れてギリシアに帰る途中この地を訪れ、牛を盗まれたためカークスを倒したといわれる場所である。その戦いのときにヘラクレスの棍棒で穿たれた割れ目(Scalae Caci)が、パラティヌスの丘の南東に残っているという。  (wikipedia・パラティーノより)]

アウグストゥスの家平面図(平面図左端に「Scalae Caci」と記述されている、これが「カークスの階段」か?)

アウグストゥスの家への進入路と案内板 – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家とロムルスの小屋の間の南側の階段、階段先アウグストゥスの家とロムルスの小屋の間がScalae Caciです。 – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家南側外アポロン神殿方向から入口・ロムルスの小屋方向を見た写真 – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家南側外ロムルスの小屋方向からアポロン神殿方向を見た写真 – Google Map 画像リンク」、「外窓から見たインテリア – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家入口 – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家内から入口を見た写真 – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家インテリア – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家インテリア – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家インテリア – Google Map 画像リンク

アウグストゥスの家 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向通路先が「アウグストゥスの家」になります。また、カメラ東方向がアウグストゥスの妻リウィアの家(CASA DI LIVA)です。

「アウグストゥスの家」内面のカメラです。