ピンチャーナ門

マーカーはピンチャーナ門です。

ピンチャーナ門(Porta Pincianawikipedia-photo)
[ボルゲーゼ公園ピンチョの丘と歩道橋でつながっており、その下の谷間をムーロ・トルト通りが走っている。ムーロ・トルト通りはアウレリアヌス城壁に沿って走る道で、ピンチアーナ門に続いている。  (wikipedia・ピンチョの丘より)]

[アウレリアヌス帝(在位270年 – 275年)の城壁Mura Aurelianeは蛮族の攻撃からローマを守るために、アウレリアヌス帝により270年から273年の間に建設されたローマを取り囲む城壁です。この当時のローマは、ローマ共和国時代の紀元前4世紀に建設された、いわゆるローマの七丘を取り囲むセルヴィアーネ城壁に囲まれていましたが、町は次第にその城壁の外にまで発展していたのでした。とはいえ、ドイツ国境にあふれ出てきた蛮族に代表されるこの新しい脅威は、すでにローマ帝国の手にあまる脅いとなり、新城壁の建設が必要となったのでした。
ムーロ・トルト通りがコルソ・イタリアになり、ヴェネト通りと交差する小丘の上にピンチャーナ門(Porta Pinciana)があり、ここが古代のサラリア街道(Via Salaria)の起点となっています。その次のコルソ・イタリア沿いに走る、保存状態のいい塔が18ある区間は、特によく保存されており、一部は城壁の中に人が居住しています。  (「 ローマ市公式ページ – ローマの城壁と城門の秘密」より)]

[「ローマとアドリア海を結ぶ古代ローマの街道構成。紫色がティブルティーナ・ヴァレーリア街道、赤色はサラーリア街道、青色はフラミーニア街道。」・wikipedia-photo  (wikipedia・ティブルティーナ街道より)]

アウレリアヌス城壁図(地図上中央がピンチャーナ門です。)

ピンチャーナ門 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向がピンチャーナ門です。

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