ポポロ門

マーカーはポポロ門です。

ポポロ門
[ポポロ門は270年代に作られたアウレリアヌス城壁(ゲルマン人の襲撃に備えるための城壁。)の一部で、チェーザレの時代にはフラミニア門と呼ばれていた、ポポロ広場の北端にある門で、ローマリミニを結ぶ、フラミニア街道の出発点であったことから、この名がついていた。北方からローマを訪れる人々の玄関口であり、税関の役目も担っていた。17世紀に、クリスティーナ_(スウェーデン女王)のローマ訪問を記念して、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが内側のファサードを装飾している。  (「ローマ Roma ポポロ広場を拠点に」より)]

[ポポロ門(イタリア語: Porta del Popolo)は、イタリア ローマポポロ広場にある、交通の要衝に建てられた象徴的な門。1475年にローマ教皇シクストゥス4世の時代に、それまでこの地にあった古代ローマ時代の城門の跡に建てられた。
現在見られるポポロ門は16世紀に建て替えられたもので、交通の要衝にある門としてふさわしい規模のものが新たに造られた。
市外側のファサードミケランジェロが手掛けたもので、ティトゥスの凱旋門からその着想を得て1562年から1565年に掛けて製作された。正面の4組の円柱は旧サン・ピエトロ大聖堂(Old St. Peter’s Basilica)から移設されたもので、大きなアーチ型通路が中央に1つと、その両脇に2つのアーチ型通路がある形状となった。1638年、中央アーチの両側にフランチェスコ・モーキ作の聖ペテロと聖パウロ像が設置された。
中央のアーチ型通路の上に彫られた碑文は次のようなものである。
PIVS IIII PONT(ifex) MAX(imus)
PORTAM IN HANC AMPLI
TVDINEM EXTVLIT
STRAVIT ANNO III
(日本語意訳) ピウス4世 教皇
この門を
嵩上げし
街道の再舗装を
(教皇職)3年目(に行った)
市内側(ポポロ広場側)のファサードはベルニーニが手掛けたもので、1655年12月23日のスウェーデン女王クリスティーナのローマ訪問に合わせて落成された。市内側の中央のアーチ型通路の上に彫られた碑文はこのことを記念したもので、次のようなものである。
FELICI FAVSTOQ(ue) INGRESSVI
ANNO DOM(ini) MDCLV
(日本語意訳) (クリスティーナ女王をローマに)迎え入れることは幸福だ
西暦1655年

フラミニア通りから見たローマのポルタ・デル・ポポロ(wikipedia-photo)

フランチェスコ・モーキ作 聖ペテロ(wikipedia-photo)

フランチェスコ・モーキ作 聖パウロ(wikipedia-photo)

ポポロ広場から見たローマのポルタ・デル・ポポロ(wikipedia-photo)

ウィキメディアコモンズには、ポポロ門の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipedia・ポポロ門より。)]

アウレリアヌス城壁図(拡大図・地図四つ切左上、テヴェレ川の右にフラミニア門が描かれています。)

ポポロ門 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向がポポロ門です。