マッシモ宮(ローマ国立博物館)

マーカーはマッシモ宮(ローマ国立博物館)です。

マッシモ宮(ローマ国立博物館)
[ローマ国立博物館は、20世紀末まではこの浴場跡を主たる展示館としてきたが、建物の老朽化や博物館施設としての不備が指摘されていた。このため、彫刻、壁画などの主要な陳列品は、近接するマッシモ宮 (Palazzo Massimo) と市内ナヴォーナ広場近くのアルテンプス宮 (Palazzo Altemps) に移され、そちらで公開されている。マッシモ宮には、アウグストゥス帝の妃リウィアの別荘の壁画であった『リヴィア家のフレスコ』や、紀元前1世紀の『ファルネジーナ荘の壁画』などが収蔵されている。  (wikipedia・ローマ国立博物館より)]

[「リウィアの家」は、1869年以降発掘されたパラティーノの丘にある共和政ローマ時代の遺跡の1つです。アウグストゥス(紀元前63年9月23日 – 紀元14年8月19日:在位:紀元前27年 – 紀元14年)の妻の家としての根拠とするには、ピエトロ・ローザ(Pietro Rosa)によって行われた最初の発掘にさかのぼります。建物は、丘の西端、寺院の下部テラス、わずかに傾斜した地面にあり、キュベレー神殿(Tempio della Magna Mater)からそれほど遠くない場所にあります。
「リウィアの家」としての根拠は、水道管の痕跡とアウグストゥスの家への近さなどの状況要素に基づいています。いずれにせよ、それはリウィアが最初の夫ティベリウス・クラウディウス・ネロと一緒に住んでいた家ではなく、おそらく彼女の夫の家にあった居室であったと思われます。
実際、アウグストゥスは紀元前36年にシチリア島から戻った後、この家を「リウィアの家」として大改修し、妻となったリウィアに与え、アウグストゥスの死後もリウィアが所有していました。
壁画は紀元前30年代に遡り、3回の火災後、修復の痕跡がうかがえます。]

[1884年になるとテヴェレ川の護岸工事が始まり、川沿いに大通りが建設されます。
この工事のために川沿いのファルネジーナ荘は、残念ながら美しい庭園の一部と、恐らくラファエロフレスコ画があったと思われるロッジアを失ったと言われます。
その一方で、護岸工事の際中に偶然、ファルネジーナ荘の地下にあった古代ローマ時代の建物の遺跡が発見されました。
色鮮やかなフレスコ画のある館は、恐らくアウグスティヌス帝の片腕であったアグリッパの家だと言われてます。現在これらのフレスコ画は、テルミニ駅近くにある国立ローマ博物館マッシモ宮に展示されていますが、2000年前とは思えない美しい色彩とデザインで一見の価値がある素敵なフレスコ画です。  (「ラファエッロのフレスコ画で有名なファルネジーナ荘 ..」より)]

ローマ国立博物館マッシモ宮の数珠の彫刻「休むボクサー」」「ローマで会いたい人~ローマ国立博物館マッシモ宮
「休むボクサー」(wikipedia-photo)

ローマ国立博物館(マッシモ宮) ファルネジーナ荘 – 忘れへんうちに Avant d’oublier」「ローマ国立博物館(マッシモ宮) リウィアの別荘のフレスコ画 – 忘れへんうちに Avant d’oublier」「ローマ国立博物館(マッシモ宮) テルミニ駅の複合遺跡」「ローマ国立博物館(マッシモ宮) 舗床モザイク – 忘れへんうちに Avant d’oublier

ローマ国立博物館 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向がマッシモ宮(ローマ国立博物館)です。

カメラ南東方向がマッシモ宮(ローマ国立博物館)入口です。

マッシモ宮(ローマ国立博物館)中庭のカメラです。

眠れるヘルマプロディートス(Sleeping Hermaphroditus – Ancient copies)(Google Map 画像)

(Wikimedia Commons)

“Athena Carpegna”:カルペーニャアテナのタイプの顔をしたアテナのカルト像。(wikipedia-photo)

『リヴィア家のフレスコ』(Villa di Livia ad Gallinas Albas)のカメラです。

『ファルネジーナ荘の壁画』食堂(トリクリニウム Triclinium)

テルミニ複合遺跡・E遺構のフレスコ画

舗床モザイク

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