マッジョーレ門

マーカーはマッジョーレ門です。

マッジョーレ門
[マッジョーレ門は、古代ローマの保存状態の良い3世紀のアウレリアヌス城壁の東門の一つです。3つの水道の合流点であり、プラエネスティーナ街道の起点です。門は52年皇帝クラウディウス(在位:41年 – 54年)によって建てられ、271年に皇帝アウレリアヌス(在位270年 – 275年)によってアウレリアヌスの壁の一部り組み込まれた。
マッジョーレ門の外側・wikipedia-photo、元の場所にないホノリウス”門の遺跡・wikipedia-photo]

[マッジョーレ門(イタリア語: Porta Maggiore)は、イタリア ローマの古代ローマ時代の城壁であるアウレリアヌス城壁に設けられた城門である。この門は、プラエネスティーナ街道とラビカナ街道を通過させるために造られた門であったため、古代ローマ時代にはプラエネスティーナ門(ラテン語: Porta Praenestina)と呼ばれていた。
プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)の起源は、52年に第4代皇帝クラウディウスがクラウディア水道新アニオ水道を完成させたとき、街道を横断するため造ったアーチ橋である。”自然を制覇して水道を建造した”皇帝の勝利を記念した凱旋門として、真っ白なトラバーチン(大理石の一種)で造られている。
その後、3世紀にアウレリアヌス城壁を築くとき、すでに存在したローマ水道の水道橋の構造物を最大限利用したため、この凱旋門も壁に組み込まれ「城門」となってしまったものである。
405年には西ローマ帝国初代皇帝ホノリウス(在位:395年 – 423年)が見張り台を追加し、その基礎部分の痕跡は現在も残っている。
現在、この門がマッジョーレ門と呼ばれているのは1.4km離れたサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に向かう通りがこの門からまっすぐに大聖堂まで延びているからである。
プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)の上部には、クラウディア水道、新アニオ水道とフェリクス水道の導水渠が載せられている。
プラエネスティーナ門(現 マッジョーレ門)の市外側出口にほぼ接して、共和政ローマ末期の紀元前52年から前50年頃に建てられた解放奴隷マルクス・ヴェルギリウス・ユリサケスの墓(Tomb of Eurysaces the Baker)が建てられている。
マッジョーレ門(プラエネスティーナ門)・wikipedia-photo、門の上の導水渠・wikipedia-photo、「マルクス・ヴェルギリウス・ユリサケスの墓」・wikipedia-photo  (wikipedia・マッジョーレ門より)]

マッジョーレ門 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向がマッジョーレ門です。

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