パラティーノ皇帝宮殿跡(ロームルスの小屋)

マーカーはロームルスの小屋です。

パラティーノ皇帝宮殿跡トップページ

ローマの起源
[伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日にギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫である、双子のロームルスレムスにより建てられた。ロームルスはレムスとローマを築く場所について争い、レムスを殺した。その後、ロームルスは7代続く王政ローマの初代の王となり、またローマの市名の元となったとされる。
考古学的には、この地に人々が居住したのはもっと早く、ローマの起源は紀元前8世紀もしくは9世紀ごろ、北方からイタリア半島に移動してきた民族がテヴェレ川河畔に定住したことにさかのぼると考えられている。恒常的に人が住むようになったのはこの頃らしく、紀元前8世紀にはじまる鉄器時代の遺跡はパラティーノの丘で発見された。  (wikipedia・ローマ#起源より)]

[ローマ神話によれば、軍神マルスレア・シルウィアアルバ・ロンガの王ヌミトルの娘)の間に双子ロームルスとレムスが生まれたとされている。王の末弟のアムリウスは王位を奪っていたが、兄の孫である双子の復讐を恐れて、双子をテヴェレ川に捨てた。双子は狼に拾われ、ここパラティヌスにあった洞窟で育てられた。そのため、この洞窟があった場所はルペルカル(ラテン語: Lupercal, 狼=Lupaが語源)とも呼ばれる。やがて豚飼いのファウストゥルスに保護され、その妻アッカ・ラレンティア(Acca Larentia)に育てられる。やがて2人は成長し、祖父の軍隊に山賊と間違えられてとらえられ尋問されるうちに孫と判明する。間もなく兄弟は反逆者の叔父を殺し、祖父を復位させた。兄弟は、自分たちが捨てられたテヴェレ川の川岸に国を建設しようと決めた。ロムルスはパラティヌスの丘が、レムスはアウェンティヌスの丘が良いと主張する。兄弟のうちのどちらが建設者になるかを鳥占いで決めることになり、兄のロームスに軍配が上がり、新しい町(Roma quadrata)の城壁を築くために溝を掘り始めた(壁を築き始めたという説もある)。それに弟のレムスが怒り兄をあざけったので、兄弟の間で戦いが起こり、弟が兄に殺されてしまった。弟を立派に埋葬した兄ロームスは紀元前753年4月12日ローマを建国し、パラティヌスに多くの人を住まわせた。彼は40年間統治し、雲の中へ消えていった。これがローマの起源だとされている。
パラティヌスで起こった神話上の出来事は他にもあり、ヘラクレスゲーリュオーンの牛の群を連れてギリシアに帰る途中この地を訪れ、牛を盗まれたためカークスを倒したといわれる場所である。その戦いのときにヘラクレスの棍棒で穿たれた割れ目(Scalae Caci)が、パラティヌスの丘の南東に残っているという。  (wikipedia・パラティーノより)]

ロームルスの小屋
[Tugurium Romuliとしても知られるカサロムリ(Casa Romuli・「ロームルスの小屋」)は、伝説的な創設者でありローマの最初の王であるロームルス(紀元前771〜717年)の有名な住居でした。パラティーノの丘の南西の角にあり、いわゆる「カークスの階段」の近くのチルコ・マッシモに向かって下り坂になっています。
ラテン系の伝統的な伝統的な単身小作農民の小屋で、いわゆるラティウム文化(Latial culture・紀元前1000年頃-紀元前600年頃)の独特の葬祭の壷で再現されているようなわらの屋根と編み枝細工の壁があります。
何世紀にもわたって、小屋は火と嵐によって繰り返し損傷を受けましたが、その都度慎重に元の状態に復元されました。火災による破壊は紀元前38年に古代ローマの司祭(Pontiff)によって小屋内で行われた式典の結果として記録されています。おそらく、クゥイリーヌス神として神格化されたロームルスへ生贄をささげるときの火災で、その間、祭壇の火は制御不能になったと思われます。
最後に記録された火災は、紀元前12年、最初のローマ皇帝アウグストゥス(在位:紀元前27年 – 紀元14年)の右腕、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパが亡くなった年です。この時は、数羽のカラスが燃えた肉を祭壇からひったくり、藁で葺かれた屋根に落とし、火災となったと思われます。
皇帝コンスタンティヌス1世(在位:306年-337年)の時代に記録されたパラティーノのフォウスティーニの小屋(tugurium Faustini)は、実際にはまだ存在していたロームルスの小屋であると推測されています。
2つ目のロームルスの小屋は、おそらくオリジナルのレプリカであるカピトリーノの丘の古典的な資料に記録されています。 78年で最後に言及されています。
これまで、考古学者は、ロームルスの小屋と現存する遺物を明確に関連付けることができませんでした。
有力な遺構候補は、1946年の発掘中に伝記上妥当な場所で基礎が発掘された住居群の中で最大のものです。住居の土台はトゥファの岩盤に切り込まれ、周囲は4.9m×3.6mの卵形でした。円状に配置された6つの柱穴、それらは、それぞれ壁と屋根の支柱を組み立てるためのものでした。このサイトで見つかった有機素材は、イタリアの初期鉄器時代(紀元前900 – 700年頃)のものです。
ローマのロームルスの小屋の形を示しているビラノバン文化の納骨つぼ:シンプルな泥と藁の小屋・wikipedia-photo、ロームルスの小屋と思われるパラティーノの丘にある鉄器時代の小屋の基礎・wikipedia-photo]

Lupercal
[Lupercalは、キュベレー神殿(Tempio della Magna Mater)と聖アナスタシア・アル・パラティーノ大聖堂の間のどこかにある、ローマのパラティーノ丘の南西麓の洞窟です。ローマの創設の伝説では、ロムルスとレムスは、彼らが羊飼いのファウストゥールによって救助されるまで、狼によって育てられていたという洞窟です。]

ロームルスの小屋(覆い屋根の部分) – Google Map 画像リンク」、「アウグストゥスの家とロムルスの小屋の間の南側の階段、階段先アウグストゥスの家とロムルスの小屋の間がScalae Caciです。 – Google Map 画像リンク」、「パラティーノの丘にあった鉄器時代の小屋の復元模型 – Google Map 画像リンク」、「ロームルスの小屋の復元模型 – Google Map 画像リンク

ロムルスの小屋 – Google Map 画像リンク」、「Lupercal – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向覆い屋根がロームルスの小屋です。