ヴィラ・チェリモンターナ

マーカーはヴィラ・チェリモンターナです。

ヴィラ・チェリモンターナ(Villa Celimontana)
[ヴィッラは現在はローマ市の管轄となっており、緑多い市民公園として誰でも訪れることが出来ます。ここから徒歩10分のところに年間655万人(2015年)の入場者を数える一大観光スポット、コロッセオがありますが、コロッセオ前でお客さんを下車させた大型観光バスはヴィッラの入口前でお客さんの帰りを待つことが良くあります。よって、最近ではコロッセオ観光後にこの公園を訪れ、短い時間ながらも緑の中での散策をお客さんにお薦めしているツアーオペレーターも多くなっています。
今では市民公園となったヴィッラ・チェリモンターナですが、その設立は1553年まで遡るローマでも大変歴史のあるヴィッラの一つで、特にその庭園は美術史、植物学などの観点から学者達の研究対象になっています。
写真②(画像リンク)はナヴィチェッラ通りVia della Navicella に面したヴィッラ・チェリモンターナの入口(サンタ・マリア・イン・ドムニカ聖堂の南)です。今日ではヴィッラ・チェリモンターナの入口は3ヶ所ありますが、建設当初に設けられたオリジナルな入口は、ヴィッラの北西側に建つサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂広場前の入口でした。美しいカリアティードの装飾を持つ扉口(門)は、1931年にエスクイリーノ地区で土地区画整備が行われた際に取り壊される予定のメルラーナ通り(Via Merulana)にあった、ヴィッラ・ジュスティニアーニ・マッシモ Villa Gistiniani-Massimoより運ばれて来たものです。
ヴィッラの歴史は、ローマ貴族であり美術品の収集家でもあったジャコモ・マッティが、1553年にこのチェリオの丘の上にブドウ畑と幾つかの建物を購入したことから始まります。当時も今も、ローマにはまだまだおびただしい数の価値ある遺構が地面の下に眠っており、目利きのコレクターにはとても魅力的な場所でした。しかし、この場所の本格的な整備を始めたのは、もう少し後の婿のチリアコの時代でした。チリアコは周辺の更なる土地の購入を進め、1580年代に入ると、核となる建物(パラッツオ・デル・ジャルディーノ)を中心に美しい庭園が形をとり始めます。
その後、その他の多くのヴィッラの運命と同様に、このヴィッラ・チェリモンターナも幾度となく所有者が変わります。そして、遂に第一次世界大戦後にヴィッラはイタリア政府のものとなります。何故なら、一番最後のオーナー男爵リチャ―ド・フォン・ホフマンが敵対国のドイツ出身であったからです。その後、1925年にローマ市に譲渡され、私達も入場できる市民公園として一般開放されるようになったのは1931年のことです。   (「第6回 ヴィッラ・チェリモンターナ」より)]

イタリア地理学会 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向がナヴィチェッラ通りVia della Navicella に面したヴィラ・チェリモンターナの入口で、入口右がサンタ・マリア・イン・ドムニカ聖堂です。

ヴィラ・チェリモンターナの入口の鳥瞰カメラで、カメラ西北西方向がパラッツオ・マッティです。

ヴィラ・チェリモンターナの入口門内のカメラで、カメラ西南西方向がパラッツオ・マッティ、カメラ北方向の建物がサンタ・マリア・イン・ドムニカ聖堂です。

カメラ初期設定方向がパラッツオ・マッティ(内部はイタリア地理研究所)です。

カメラ南南東方向がチェリモンターナのオベリスクです。