マーカーはラジョーネ宮です。
ラジョーネ宮(英語:Palazzo della Ragione, Milan、イタリア語:Palazzo della Ragione (Milano))
[メルカンティ広場の中心部に民事訴訟・刑事訴訟の場として1233年に建立されました。そして、1770年までコムーネ市庁舎であり、その後は戦後、リナッシェンテ百貨店が置かれていました。ファサード部分には、特徴的な薄彫りに加えて、半分を毛で覆われたイノシシ(雌豚)を表す彫刻があり目に入ります。一方、当建物内部は広いワンフロアーの構成で1771年にオーストリアのマリア・テレジア女帝の命により公正証書資料館となりました。 (「ミラノの見どころ-ミラノの主要建築物 (1) ぜひ見ておきたい建築物」より)]
[この広場に堂々と建つ中世の市庁舎であったラジョーネ宮はもともとこの広場中心部にありました。同宮殿を建設中の1233年、「イノシシ」の形の刻まれたローマ時代の石が発見されました。これはミラノの伝説にまつわるもので、ミラノは、ガリア人のベッロヴェーソが夢のお告げで受けた通りに、このイノシシが体半分を毛に覆われた形で出てきた場所に、ミラノが創立されたといわれています。この小さな石は、現在、ラジョーネ宮のメルカンティ通りに面した正面ファサードのアーチの中に埋められています。このイノシシはその後、ヴィスコンティ家によって「白蛇」に変更されるまでミラノのシンボルとなりました。一方、ラジョーネ宮のメルカンティ広場に面するアーチの柱上にはこの宮の建設を命じた執政長官、オルドラード・ダ・テッセーノの騎馬像のレリーフがあります。 (「ドゥオーモのすぐそばにある小さいながら魅惑的な …」より)]
ラジョーネ宮・wikipedia-photo
ミラノのメルカンティ広場にあるラジョーネ館の 1 階全体を占める柱廊玄関の眺め。柱廊玄関は商人による交渉活動に使用されました。wikipedia-photo
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カメラ位置はメルカンティ広場で、カメラ東北東方向がラジョーネ宮です。
カメラ南南西方向がラジョーネ宮です。