メルカンティ広場

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    メルカンティ広場
    [ドゥオーモの近く、ミラノ経済生活心臓部にあるこの特色ある広場は、中世から17世紀当時のミラノ文化を代表する歴史的建築物に囲まれています。すなわち、ラジョーネ宮、通称パニガローラの家と言われるノタイ宮、王立学校、そして、オシイ家の回廊など。この回廊の中心にある「パルレラ」と呼ばれるバルコニーから法令や裁判結果などが発表されたのでした。この広場は、商人、職人、商店主の集まる場所であり、日々の商いの繰り広げられる舞台であり、この広場にあった商品の交換場所を囲んでいた6つの門や、隣接する通りなどには、その当時の主な職業の名前がつけられています。すなわち、アルモラーリ(武器職人)、スパダーリ(刀職人)、カッペラーリ(帽子職人)、オレフィチ(金細工職人)など。1921年には1583年に閉鎖された「公共井戸」がこの広場に返還されました。  (「ミラノの見どころ-ミラノの主要建築物 (1) ぜひ見ておきたい建築物」より)]

    [この広場の建設は1228年に始まり、もともとは現在のメルカンティ通りも広場に含まれていました。メルカンティ通りが建設されたのは1867年のことでドゥオーモ広場コルドゥーシオ広場を接続することが目的でした。メルカンティ通りの右側には壮厳なジュレコンスルティ宮があります。これは1561年に建設が始まった建物でその40年後に13世紀の建造物「ナーポの塔」も組み入れられました。その後、1900年代初頭に現在の最終的な形となるまで幾度も建築的な変更が加えられました。
    メルカンティ広場の出来た当初の姿を想像してみるにはほんの少しイマジネーションをこらしてくだされば十分です。広場はもともと四角形をしており、執政長官の建物、牢屋、裁判所、そして商業組合など、前面に柱廊のある建造物に四方を囲まれていました。広場を囲む6つの大きな門から市内の主要区域へと続く通り、あるいは田園への通りが出発し、田園からは農産物などが運ばれてきたのです。この広場は中世における商売や市民生活の心臓部であったのです。
    広場の真ん中には16世紀の井戸がありますが、これはかって「破産の石」という石の置かれていた場所を示しています。当時は破産宣告を受けたものは公衆の前で、この場所に座って裁判官の宣告を聴かなければなりませんでした。井戸のすぐ前の建物であるオシイ家のロッジャのバルコニーからその宣言が伝えられたのでした。  (「テキスト – Itineranet」より)]

    メルカンティ広場 – Google Map 画像リンク

    カメラ位置はメルカンティ広場で、広場中央に「公共井戸」、「公共井戸」右がラジョーネ宮、左にオシイ家の回廊と王立学校があります。

    カメラ位置は広場中央に「公共井戸」です。

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