(オルヴィエート・チヴィタ)

オルヴィエートは丘の上に作られた要塞都市。古くからエトルリア人が住んでいたが、紀元前280年ごろにローマ人に攻め落とされ、近隣に逃れた。以来この街を「ウルブス・ウェトゥス (urbs vetus)」(ラテン語で「古い町」の意)と呼んだのが訛ってオルヴィエートと呼ばれるようになったといわれている。
旧市街には劇場、美術館、聖パトリツィオの井戸、ドゥオーモを持つ教会など、また街の地中を掘り進むとそれだけで遺跡が出てきてしまうような土地、岳下のエトルリア人の墳墓と伝えられる跡など、イタリア国内、ヨーロッパ、アメリカなど世界中から見学者が絶えない美しい地である。
ローマ・テルミニ駅より鉄道、新幹線鉄道を利用の場合1時間10分、フィレンツェから2時間10分程度、オルヴィエート駅からはフニコラーレ(ケーブルカー)のオルヴィエート鋼索線(Funicolare di Orvieto)にて岳上に築かれた旧市街地まで地中経由で訪ねられる。自動車利用の場合は高速道路により、これもローマから一時間程度で到達する。 駅とは反対側の近代的な駐車場からエスカレーターを乗り継いで市街に上がれる。  (wikipedia・オルヴィエートより)

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(Civita di Bagnoregio)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落(フラツィオーネ)である。2500年以上前にエトルリア人によってつくられた都市であるが、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされており、「死にゆく町」(il paese che muore)とも言われる。
300メートル程度の長さをもつ狭く急な橋を渡る以外に、この集落へ行く方法はない。
2021年の時点で、ユネスコ世界遺産の暫定リストに記載されている。
バニョレージョの中心から東に約2キロメートル離れた、テヴェレ川に面した凝灰岩の台地上にある。冬の人口は12名で、夏の人口は100名を超える。  (wikipedia・チヴィタ・ディ・バーニョレージョより)

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