ギマランイス市庁舎

マーカーはギマランイス市庁舎です。

ギマランイス
[ギマランイス(Guimarães)は、ポルトガル北西部のブラガ県にある都市。ポルトガル王国初代国王アフォンソ1世(アフォンソ・エンリケス・在位:1139年 – 1185年)が当地で誕生していることから、ポルトガル発祥の地、ポルトガル王国の発祥地と呼ばれる。
ギマランイスの名前は、868年に最初のポルトゥカーレ伯領を築いたヴィマラ・ペレス(Vímara Peres)伯爵の名前に由来する。
1095年、ブルゴーニュ家出身のアンリ・ド・ブルゴーニュ(エンリケ)は、カスティーリャレオンの王アルフォンソ6世の娘テレサと結婚し、ポルトゥカーレ伯に封じられた。1109年6月25日、エンリケとテレサの息子であるアフォンソ・エンリケス(アフォンソ1世)がギマランイス城内で生まれた。1128年、アフォンソ・エンリケスは宗主国カスティーリャ=レオンの国王アルフォンソ7世に叛旗を翻してこれを打ち負かし、ポルトゥカーレ公爵として独立。その後、オーリッケの戦いでイスラーム勢力(ムラービト朝)に大勝すると、1139年、機に乗じてポルトガル王アフォンソ1世を称した。1143年にはローマ教皇の仲介によってアルフォンソ7世もアフォンソ・エンリケスのポルトガル王位を承認し、これをもってポルトガルはカスティーリャ=レオン王国から正式に分離独立を果たして対等の国家となった。アフォンソ・エンリケスは1139年にブルゴーニュ王朝(ボルゴーニャ王朝、ポルトガル王国第一王朝)の初代国王に即位したことになる。1147年、アフォンソ1世はリスボンを陥落させて王国の版図を一挙に拡大させた。
王国揺籃の地となったギマランイスには、その後、規模の大きい建造物が建ち並ぶようになった。近代を迎える頃になると中世都市から近代都市へと変貌してゆきながら、しかし中心部だけは中世の街並みが維持され続けて今日に到る。このような歴史的建造物の中には14世紀に建てられた市民の家屋も含まれているが、それらは1階が花崗岩、2階以上が木の枠組みで造られた伝統的建築物であり、今も人々が住まう現役の住宅である。
都市の中心部である旧市街は南北に約850メートル・東西に約250メートルの狭い区域であり、ポルトガル王国の建国後に建てられた歴史的建築物が並ぶ。『エスプレッソ』紙による調査で、ギマランイスはポルトガルで2番目に住みよい環境の町であると評価された。2001年、歴史的文化財を残すギマランイス旧市街は「ギマランイスの歴史地区」としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。また、2012年にはこの年の欧州文化首都になっている。  (wikipedia・ギマランイスより)]

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カメラ東方向がギマランイス市庁舎です。

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