クイーンズ・クロス・チャーチ

マーカーはクイーンズ・クロス・チャーチです。

クイーンズ・クロス・チャーチ
[クイーンズクロス教会は、スコットランドグラスゴーにある旧スコットランド国教会教会です。チャールズ・レニー・マッキントッシュが設計した唯一の教会です。 したがって、マッキントッシュ教会としても知られています。
歴史
1896年、グラスゴーの聖マタイの無料教会は、メアリーヒル(Maryhill)近くのスプリングバンク(Springbank)の開発地域内に位置する、経験豊富なグラスゴーのハニーマンとケッピー(Honeyman and Keppie)の建築実践から新しい教会とホールを委託しました。ジョン・ハニーマン(John Honeyman)は、若くて才能のある研修生の建築家チャールズ・レニー・マッキントッシュに仕事を割り当てました。この場所は厄介なもので、小区画の地所で、長屋と大きな倉庫が隣接しています。彼らの信念を維持するために、自由教会は設計の単純さを要求しました。1898年6月23日に記念石が敷かれ、1899年9月10日に最初の礼拝が行われました。
マッキントッシュはリバプールのために英国国教会大聖堂を設計しましたが、競技会の一環として設計し建てられたことはなかったため、完成したマッキントッシュ教会はクイーンズ・クロスだけでした。マッキントッシュがグラスゴー芸術学校のコンペティションデザインを終えた直後に建物が始まりました。教会はグラスゴーのメアリーヒル地区にあるガースキューブ・ロード(Garscube Road)とメアリーヒル・ロード(Maryhill Road)の交差点にあるクイーンズ・クロス(Queen’s Cross)に建てられています。
交差点から見た教会の塔・wikipedia-photo、南東からの眺め・wikipedia-photo、メインバルコニーから見た西側の窓と南側通路のバルコニー・wikipedia-photo、教会ホール・wikipedia-photo]

[Queens Cross Church(クイーンズクロス教会)
設計: C.R.Mackintosh 1899年 場所: Garscube Rd.
マッキントッシュソサエティーがある元教会です。内部はグラスゴー芸術学校によく似ています。また、開口部とインテリアの関係に不整合な部分が見られるなどマッキントッシュらしい部分が随所に見られます。  (「マッキントッシュ|芸術愛好家|ヒルハウス|グラスゴー美術 …」より)]

マッキントッシュ教会 – Google Map 画像リンク」「The Charles Rennie Mackintosh Society – Google Map 画像リンク」「Mackintosh Queen’s Cross – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向がクイーンズ・クロス・チャーチです。

クイーンズ・クロス・チャーチ内のカメラです。

チャールズ・レニー・マッキントッシュ
[チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh, 1868年6月7日 – 1928年12月10日)は、スコットランドの建築家、デザイナー、画家。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人でもある。
チャールズ・レニー・マキントッシュは1868年6月7日、警察官の父ウィリアム・マッキントッシュと母マーガレット・レニーの四男としてスコットランド、グラスゴーに生まれた。幼少の頃より足と目に障害を持っていたが、スコットランドの風土に触れる機会には恵まれ、多くのスケッチを描いた。
16歳の時(1889年)に、グラスゴーの建築家ジョン・ハッチソンの下に弟子入りし、同時にグラスゴー美術学校の夜間部にデザインとアートの勉強をのため入学。在学中には多くの学校賞を受賞。後の妻となるマーガレット・マクドナルド、その妹であるフランセス・マクドナルド、そしてハニーマン&ケッピー事務所での同僚でもあるハーバート・マックニーと出会っている。チャールズを含むこの4人は、ザ・フォー(The Four)と呼ばれ、グラスゴー、ロンドンウィーンの各地で展覧会を開き、その評判はマッキントッシュの名声を確立させるに至った。いわゆる、「グラスゴー・スタイル」と呼ばれるこの展覧会は、ヨーロッパ各地でその後も開かれ、ウィーン分離派に影響を与えたと言われる。
1889年、ジョン・ハッチソンの事務所から、ハニーマン&ケッピー設計事務所(1901年以後は、マッキントッシュのパートナーとなる。)に移り、製図係として働く。1890年、アレクサンダー・トムスン旅行奨学金に応募しこれを獲得。翌1891年イタリア旅行に出かける。
27歳の若さで、母校でもあるグラスゴー美術学校の新校舎の設計コンペに優勝。グラスゴーのティー・ルーム(Willow Tea Room)のインテリアデザイン、ヒル・ハウスの設計などをした。
当時、建築家としての名声が得られなかったマッキントッシュは、建築の仕事がなくなってしまい、後年南フランスに移り水彩画家に転向した。
1928年、喉の癌のためにロンドンで死去。クライズデール銀行が発行する100ポンド紙幣に肖像が使用されている。
作品・建築
ライトハウス(1893年)
グラスゴー芸術学校(1899年)
●クイーンズ・クロス・チャーチ(1897年)
デイリー・レコード・ビルディング(1900年)
ハウス・フォー・アート・ラバー(1900年、実現せず、1996年建設)
ウィロー・ティルーム(1903年)
●ヒルハウス(1904年)
マッキントッシュ・ハウス(フロレタイン・テラス)[1906年、現・ハンタリアン・アート・ギャラリー]
●グラスゴー美術学校 図書館(1909年)  (wikipedia・チャールズ・レニー・マッキントッシュより)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*